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海岸日記


2005年7月

2005/7/29(fri)
昨日は良いお天気

そして、今日はべたっとした空気。先ほどから降りだしました。
でも、きのうは畳干しやカーテン洗いでぶったおれそうに疲れたので、今日は落ち着いてのんびりしていました。
今から息子に手伝わせて夕食の準備です。
男の子よ、家事をしなさい。かなり遅すぎた感じだけれど、やらないよりましだから。そして彼も意欲的です。

2005/7/28(thu)
あれれ?

居間の時計が午前零時3分。
パヒコンの時計が13分。
ややこしい時に書き込んでしまったな。しかも再度。つまり
全開の「眠れない」書き込みは、24時間前のものなのである。そしてダブル書き込みは今のものだ。
恥知らず〜♪会長は、いぜんとして健在である。

  ↓
全開は前回のこと。導入剤飲んで1時間ひろひろ二階へあがりましょ。

                 ↑
「ひろひろ」は「そろそろ」のこと。オバハン、すぐに布団にもぐりこめ!

2005/7/27(wed)
寝付けないというのは困ったものだ

人間の1日感覚は本当は25時間くらいなのだそうだ。だから少しは睡眠不足にしておかないと、毎日1時間くらいは就寝・起床の時間がずれてくるものらしい。
わたしは、多分27〜28時間だと思う。そのうえたっぷり7〜8時間寝る。これでは寝付けないのは当たり前だ。今夜も、薬をのんで睡眠リズムを整えようと努力したのだが。もう3時間もゴロゴロしているのに、さっぱり眠くならない。午前中の、あの吸い込まれるような眠気はどうなったのか!危なくて昼間車に乗れないので、不自由おびただしい。おまけに眩暈はするし吐き気はするしで、結局昼寝することとなる。
日が暮れたら、だれとも話さない事、読まないこと、ましてや書かないことが一番有効な手だてであることはわかっている。でもさ、毎日家族がいるときに、詩をかかなくてはならない時もあるのだよね。
あーあ、すっかたなかんべさ。夜しか1人になれないのざんす。
で、パソコンの前に座っても、脳は身体のあらゆる穴、そう背中の皮膚の汗腺から、涙から、鼻水から、ついでにオシッコからも出てしまう。垂れ流しだーーーー!
ああ、おなかすいた。おにぎり食べよう。

三つの理由によって

1―長男が帰省中。
2―おっとっとも格別な用事はない。
3―台風一過、晴天になりそう。

以上、三つの理由によって、我が家在住のダニ・クモ・アリの一族は、壊滅的な影響を受けるであろう。重くなりすぎたホコリも叩き出される運命にある。
ヒヒヒヒヒ、1人ほくそえむ鬼婆。おんどりゃー、二度とくるでないぞぅ!

三つの理由によって

1―長男が帰省中。
2―おっとっとも格別な用事はない。
3―台風一過、晴天になりそう。

以上、三つの理由によって、我が家在住のダニ・クモ・アリの一族は、壊滅的な影響を受けるであろう。重くなりすぎたホコリも叩き出される運命にある。
ヒヒヒヒヒ、1人ほくそえむ鬼婆。おんどりゃー、二度とくるでないぞぅ!

2005/7/24(sun)
梅雨明け

宣伝をひとつ。
「漁火」におふじさまの『音の梯子』の感想を書きました。おふじさまが目がね族であることを言い当てましたぞ!
ただそれだけのことではありますが。
閑話休題。
間抜けにも、当地方、やっと梅雨が明けたそうです。でも去年より1日遅いだけらしいので、まあこんなものかな。あと2週間くらいは炎暑ですね。
ちょうど1ヵ月体調が悪かったので、太りました。身体を動かさずに食べてばかりいたからです。
このところ、若布のふりかけと杏仁豆腐に凝っています。この二つあれば2ヶ月は生きてられるって感じ。あんまり食制限されると、妙な方へ噴出する。これって、言い訳ですけれど。
まあ、アルコールやタバコを嗜まない性質で良かった。辛いもの、苦いものも、落ち込みやすい罠らしい。甘いもの好きがわたしの食嗜好の最大の難点なのである。

2005/7/10(sun)


畳に黴が生えたらしい。何と無くベタベタとする。
油断するといつも生える場所だ。床下の空気の流れがそのあたりで滞るらしい。エアコンのドライではどうも上手く行かない。
そういえば最近詐欺にひっかかるのは、床下の除湿工事だなあ。梅雨時の湿気には、悩まされる人が多いらしい。
黴退治には、いままでアルコールを使っていたが、もしかしたら重曹の方が効くかな。
カーペットには、何が有効かな。
かな。かな。かな。悩みは深し、梅雨深し。

2005/7/5(tue)
見てしまった!

わたしが大好きな人のことを悪く言っている人の言葉を見聞きするのはつらいことだ。
わたしだって人の悪口を言うけれど、多分、聞いた人はつらかったろうな。だから、言わなきゃこちらが誤解されたままになるという焦りだって理解できる。
けれど、間にいる人まで、なーんだ、あんな人の仲間なのか、と思ってしまうのだ。本人のことを悪く思う以上に、だ。
何かを見てしまったときも同じだ。誤解。それに尽きる。疑惑は、こうした些細なことから生れるのだが、大きく育つのが怖い。何だか今日は、気の重い1日でありました。

2005/7/3(sun)
子供のことは…

幾つになっても心配よね。
久しぶりに会った友達とそんな話をした。短い時間だったから、お互いそれ以上のことは言わなかったけれど、子供のことは、本当にいくつになっても心配だ。
60になろうとするオットットが入院中の義母を見舞ったとき、母も言ったそうだ。気をつけて帰れ云々と。いくらこちらが田舎住まいで母が関東圏にいたとしても、迷子になって途方に暮れるほど変なところにいるわけでなし、日暮れでもない。「言われたかないよ」と思ったそうだ。「いつまでも我が子は子供なんだなあ」と病篤い母の言葉に胸が詰まったらしい。
省みて、わたしの子供は30代、もう世間的には心配する必要はないらしいが、どうも一言隻句、ティシューの使い方1つにも、「心配」がむくむく湧いてくる。つい指図したくなる。帰省しても、始めはハイハイと大人しいが、ついには「もう帰る!」と声を荒げることになるのだ。
だってさぁー、心配なんだもん。
いつのまにか向こうが折れて、わたしの言うとおりにする。
寂しいねえ、これが…。彼らが20代のころは、わたしが折れたのに…。
しょんぼりしていると、何と無く元気付けるようなことをいう。寂しいねえ、これがまた。
しかしまあ、父親であるよりはましか。「父の日」は忘れられても、「母の日」は覚えているようだ。



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