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海岸日記


2005年6月

2005/6/25(sat)
長いもの

可愛い?
ど、どうして?
生家にはしょっちゅういて、眩暈してぶっ倒れそうになったこともある。それを可愛いだなんて!
Oさまは、困難には真正面から立ち向かって行く人だと思う。言い訳とかごまかしには縁がなさそうだから、多分本音なんだと思う。
でも、どうして可愛いの?
どうしてー? どうしてー?
でも、わたしはクモは怖くない。
知り合いに鶏が大嫌いな偉丈夫がいて、からかうと面白かった。
そういえば、お祖母ちゃんは、ささっと竹箒で掃き出していたな。

2005/6/15(wed)
困った苦待った

車のエアコンの液晶画面が暗くなってきた。直さないといけないかなと思って見積もってもらったら、な、なんと、10万円を超えるかもしれないと言う。
えーーーっ! 7年乗っているけれど、あと3年は乗るつもりだ。見えないのも困るなあ。でも高いなあ。
走行距離は7万キロ、エンジンはまだ大丈夫と思う。大した故障もなく(わたしがぶつけた以外は)、バッテリーとスノウ・タイヤを買い替えただけだ。
苦待ったね、やっぱり消えてしまうまで待っとこう。
買い替え? ここは4WDでないと駄目なのよ。スノウ・タイヤも要るし、ねえ。
爺婆は、夜は乗らないことにすれば良いんだけれども、吹雪の夜はタクシーも来てくれないのよね。街から乗って帰っても、お客さん、ここからは無理です、歩いてくださいなんて!
おお、悩むねえ。

2005/6/14(tue)
入梅なので良く晴れて…

というのは、ちと言いすぎだろうか。この時期ほんとに天気予報はあてにならない。「晴れ。時々くもり。一時雨」なんていわれたって困るのよねえ。
天気予報士は、健康でなければなれないと思う。神経が太くて、「そこのけそこのけ、俺様が通る!」人でなければ、こんな時期、絶対身体をこわす。洗濯物干し指数だとか、紫外線情報だとか、細かい予報になればなるほど、へんてこりんな予報にもなるし、間違いもおおくなる。
いや、まてよ、予報は予報なんだ、信じる方がアホ、という考え方もある。明日は晴れです。では傘をもって出かけましょう。「予報」には、まあそれくらいの信頼をおくのが適当でガンショ。
腹立つぅーーーーー!
今日は、三つも予報が外れた。
その1 今日の受診科目は喉のあたりだったので、首周りの開いた(そうして下さいと言われている)新しい白いサマー・セーターを着て病院へ行った。医師はそんなとこ見なかった。ひたすら血液検査の結果のみに集中。帰って、脱ぐ時に口紅がベタッ。
その2 いつも午後1時位になるので、運転手にそう申し付けておいた。ところが、奇怪至極なり、検査室の前には1人も待ち人なし。看護士さんも変ですねえという有様。早く済むにこしたことはないが、予定より1時間半も早かったので、運転手が電話に出ない。さては昼寝か、密会か。ハラペコなので、怒り心頭。
その3 むくれてスーパーに寄り、一番高いおすしを買って来いと命じ、お茶を淹れさせて(これも彼の自立のために)…、なんだ! わさび入りじゃないの! わたしが刺激物だめだっての忘れたのっ!
ああ、疲れた。今日はお天気が良いので、昼寝をしました、3時間。うっとおしい電話のおかげで目が覚めました。したがって、今もお目目パッチリです。

2005/6/10(fri)
或る〜日〜、森の中〜

捨て犬に出会った。
ペコさんちのセナとおなじ犬種だと思う。首輪はなく、ビニールの小包紐だった。それで立ち木につながれて、菓子パンの袋が散らかっていた。
迷いに迷ったが市役所に電話した。
いずれ薬殺されるだろう。ここで死ぬのとどう違うのか。わたしに見つけられて助かったと思っただろうか。市役所の檻付き車がくると、あかんぼ犬でも大鳴きする。きっと何か分るのだ。
ごめん。わたし、飼ってあげられないのよ。ごめん。ごめんね。
森の中に捨てれば、犬猫も何とか生きられると思うのだろうか。ダンボール箱の中で目の開かない子供が鳴いているのを何回か目にした。見るのが辛くて餌をやる人もいるが、それがわたしの家の狭い芝生をトイレに使うのだ。
今の時期、しかも成犬だから、理由は転勤だろう。マンションだと飼うのは駄目だものねえ。1人暮らしの老人の飼い犬が、その人が倒れて入院したら野犬になったという話も聞く。
森の中、熊さんに出会う危険もあるのだが、ここらあたりは野良犬に会う機会の方が勿論多い。妙に人懐こい彼ら。怖くない人間がいることも承知しているのだ。
里山には、里山の悩みがあるのだ。とても静かで良いとこなのだけれど。

2005/6/7(tue)
修養の足りないわたくしは…

時々、どころか、しょっちゅう、わたしは人様と反対のことを考えるらしい。
何か物をもらうことに、ひどく抵抗をかんじることがある。つまりは専業主婦で、賃金というものをもらったことが殆んどない、そんなところに原因があるのかもしれないが。
もらう理由に納得が行かないとき――そこには色々な場合があるのだが――、何かをもらうというのは、なかなかに辛いものがある。必要以上なのだろうが、政治的下心など感じてしまうのだ。とても人様の仰るようにクールにしてれば良いんだよ、てな訳には行かないのである。
ご辞退申し上げるという意味のことを言ってしまい、馬鹿にしているのですかと言われ、あやうく喧嘩になりそうになった。別に喧嘩を売っているわけではなく、自分の感性には合わないと言っているだけなのに。仕方ない、周囲の意見も取り入れて、もらうことにした。
それにしても、釈然としない。おもしろくない。これが頑固者と言われる所以なのだけれど、ああやっぱり…。
やっぱり、やっぱり。やっぱり、モースの『贈与論』を手に入れたい。葵のご紋の印籠とは行かないだろうが、ほらここに書いてあるでしょと、コピーの一枚も送りつけてやりたい。
友達の作ったケーキなら、お代わりをねだるんだけどなあ。

2005/6/1(wed)
間に合わない

どうしていつも、間に合わない間に合わない、という夢ばかり見るのだろうか。なんぞ精神分析的意味でもあるんでしょうね。
親しい友人(どうも胃がんらしい)が危ないというので病院に行ったのだが、病室がどうしても分らない。受付のおじさんに聞くと、そこは野っ原で、枯草がツンツン立っている。看護婦さんに聞いたら、海だった。浪に侵食された穴の奥にいるという。でも、その間の荒波を、わたしは看護婦さんのようには跳べないのだった。
臨終に立ち会う羽目にならなかったことを、喜ぶべきか悲しむべきか、わたしには分らない。
朝になって当人に電話したら、厄落とししたといって喜ばれてしまった。あなた今日死ぬかも知れないのよ。でも暢気に「ねえ、どんなふうに死んだ?」
しっかたねぇ。ケーキを焼いて持って行くことにする。

つまり、香典だそうです。



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