サティ
ヒンズー教の古い習慣にサティというのがある。 未亡人が、本人の意志如何によらず、亡き夫の火葬の火の中で殉死するというものだ。 本人の意志如何によらず…、つまり焼き殺されるということだ。逃げ出せばまた投げ込まれて、泣き叫ぶまだ少女の妻。それがたまたま西欧人に目撃され、新聞に載ったことがあった。そのときこれが現代かとぎょっとなったのだが、皮膚感覚で探ろうとすると、これは戦争よりももっと怖い。女性の地位が低いインドでは、現実に女性人口があきらかに少ないのだそうだが、間引きとともにこんなことも原因にあるらしい。切羽詰った状況になれば、まず女が死ねということもあるのだろう。 世界を見よ、と良く言われる。でも、その人たちが見ている世界は、こういう世界ではないらしい。こういうことを知らないはずはなかろうと思うのに、なぜかリブの人たちしかこういった問題に関わろうとはしないのが不思議だ。 戦争で稚い子供たちが死ぬ、とても怖いことだ。そう言いながら、間引かれる女児のことには目をつぶる。 「sati」と書く。辞書を繰ると近いところにある「satya」は、真実とか真理という意味だ。ひどく白々しい近接である。
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