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海岸日記


2004年3月

2004/3/28(sun)
さくら、さくら、弥生の空は、

快晴なり。
苔庭(元芝庭)に自然発生した桜、それと分って10年くらいになるだろうか。少しずつ花着きが良くなってきた。近くのソメイヨシノより早く咲く。彼岸桜の系統だろうか。
まだ頼りない若木だけれど、それなりに春の気分を醸している。
桜切る馬鹿、と言うけれど、徒長した枝が電話線を擦るので、毎年少し切っている。でも切ったあたりが良く咲いているような気がするのだが。
新枝は葉ばかり。
もしかしたら、桃との合いの子だろうか。夏には新枝を切ってみよう。
しかしまあ、野生のものは元気がいいね。芝生は苔になってしまったし、山椒の木は植えても植えても枯れてしまうのに、桜と紅葉はぐんぐん大きくなっている。
わたしは野生児だったつもりなのに、未だに150センチに満たない。もうすぐ枯れるだろうに。

2004/3/26(fri)
瀉血

鉄分が多すぎるんだって!
だから、人工的に貧血にするんだって!
血は大事なもので、いただいたり差し上げたりするという、一種敬意を払われるものだと思っていた。ところが溜まりすぎては良くないらしい。
鉄分を多く含む小魚・貝・海藻・大豆・青菜・胡麻などを控えた食事にしろという。なんだー? わたしはそれらを確実に、多く摂るように努力してきたのではなかったか?
つまり、ばあさんは毎月血を失うということがないので、とかく余りやすいらしいのだそうだ。
でもね、そうならそうと早く言ってくれよな。
おかげで出ない血管をバチバチ叩いて出して、ぐるうりんと針を刺し、ギュッコンコギュッコンコと血を採られる羽目になった。
ぎゃあぁあぁー! 吸血鬼ぃぃぃぃぃ!
…と。
とにかく針を刺すのは看護婦さんの方がいい。新米医者が担当だと分ると、その時点で即、血管が縮んでしまう。いくら初々しい坊やでも、痛いことをされるのはまったくもって敵わない。三日目、まだ両腕に大きな青痣だ。今度は練習料寄こせと言おうかな。
血を排泄物として自覚したのははじめてだった。それが、頂いたり差し上げたりするものでなくて、捨てるものであったことは、わたしに新鮮な感覚をもたらした。もし、ある磁場
を潜り抜けると体内の老廃物が毛穴から飛び散る、といった装置が発明されたら素敵だろうな。でも毛穴が大きくなってしまうだろうから、美容上は好ましくないかも知れないな。
要は必要以上のものを摂らない所持しないことが大事なんだろうと思う。
そう悟ったからには、身体が要求する(欲望する)とおりに生きるべきだ。だから今夜はもう寝る。お流しは明日一番にする。その予定。
予定は狂うものだ。もうあと5分で明日だ。朝一にするのは、先ずお風呂に入ること…。

2004/3/22(mon)
風邪かな?

なんだか少し吐き気がする。
昨日は朝食前にゴミ捨て場の掃除ほか。午後来客。夜は我が家で町内会の引継ぎをした。夜7時から。お腹がすくと辛いので、6時にお握り二つ。皆さんが帰られてから、10時に豚スキ。
つまり、殆ど3時間おきに軽食(お菓子も含む)を取った。そのせいか、来客が風邪を引いていたせいなのか…。
とにかく久しぶりの吐き気で、トロトロと1日眠って過ごした。詩誌を数冊読む。感想を書く気力なし。

2004/3/17(wed)
狂った1日だった

前線が近づいていて、突風が吹いている。気温もめちゃ高い。
個人誌の入稿をすませ、同人誌に原稿を送り、ほっと一息。こういう日は何かと危ない。バーゲンのデパートになんぞ行くべきではない。不要不急のガラクタについ手が出るのだ。行ってはいけない。
でも行ってしまった。財布に2万円余だけ入れて、カードも置いて。
亭主のシャツ、9800円。わたしのツインの赤いセーター、5000円。白の薄手のセーター2000円。スカーフ、1000円。駐車料金、200円。
帰りにスーパーに寄った、2180円。
1株80円のパンジーの苗にグラグラっとした、420円。
結局126円だけ残ったのだった。
良く歩いて運動したので、体重は落ちただろうか。財布は確実に軽くなったけれど。
二個目の鯛焼きを食べながら、今日1日を反省してみれば、狂った1日だったとしか言いようがない。

2004/3/16(tue)


クシャミと共にやってきた春。でも雪国では雪吊りはずしとタイヤ交換が済まないと春ではない。
昨日今日と雪吊りはずし。業者に頼めば半日の仕事だが、財布と相談の上、今年も自分でやった。シルバー人材のお爺さんは手伝いを要求する。でも、お説教が多いのでなるべく手伝いたくない。
そう、70代半ばの彼は、若い(!)ネエさんに教えておき
たいのだ。ありがたい。ありがたい。涙が出るほどだ。
現役の庭師に頼むと、目の玉が飛び出るほど掛かる。
故に、仕方なく、その結果、夕方から腰痛で…。
指先も軽石状態になってしまったので、洗濯物も畳めず放り出したまま。
キー・ボード操作が1本指の平仮名入力だということは、ま、こんな時助かる。
でも、やっぱり来年はお爺さんに頼もう、とお婆さんは思う。

2004/3/10(wed)


イタリアに旅していた娘が無事帰国した。自分の娘のように可愛い隣家の娘さんが、第一志望の大学を落ちた。
わたしは当然こころの中では喜んでいるべきなのだが、となりのようこちゃんのことが黒雲のように覆いかぶさって来てしまい、何となく気が重い。
つまり、無事ならもうどうでもいいのである。
かたや命に別状があるわけではなく、第二希望の大学に行けばいいのだ。それで人生が決まるわけでは全然ない。それでもやはり胸塞がれる。
母性愛と括られる感情は、もしかしたら不幸を希求する精神なのだろうか。我が身勝手なものとは知っているが、もう少し我娘のことを喜んでも良さそうなものなのに。
娘は可愛い。目の中にいれても痛くないほど。それなのに、ああそれなのに…。
隣のようこちゃんは、我娘の代替品ではなかったらしい。

2004/3/5(fri)
『レザルド川』

エドワール・グリッサンの『レザルド川』を読了。
かなり、というか、大変面白かった。主人公のまわりに立ち上がる湿気のような、人々の顔と言葉。レザルド川の何ものにも惑わされぬ生き物のような流れ。つまりそれは一つの人生でもあり、人の世の象徴でもある。
「西欧文化を離脱したいとか、アフリカへの帰属を拒否するというのではなく、一種の綜合を実現したい、あるがままの自分でありたいと望んでいる」マルチニックの青年たちの話なのだが、「周縁に生きる存在」である、女であり地方在住であるわたしに、何だか背骨を正されるような読後感を齎したのだった。

2004/3/4(thu)
同性結婚

どうしてそんなに問題なのかな。他人の趣味じゃないの。
などと思ってしまうわたしは甘いのか。
子供を育てるということとは関係ない。同性愛の人だって、まあ大体異性愛の結果なんだものね、同性愛の夫婦に育てられた子供が同性愛になるとは限らない。
どうしてそういう人間の基本的なところが法律という社会性に取り込まれなくてはならないのか、わたし、わかんなーい。

2004/3/2(tue)
しつこい雪ですなあ

3月に入ったというのに、また真っ白!
タイヤ替えないで良かった。雪吊りはずさないで良かった。コートをクリーニングに出さないで良かった。
怠け者は、こういうとき得をする。えへへと言いながらも寒いので、また暖房機に擦り寄ってしまうのだ。
さて、卒業旅行でイタリア旅行中の娘に電話するのだが、中国語でむにゃむにゃ、むにゃむにゃレイター。多分あとから電話せいと言うのだろう。
ん? 今日はローマ入りしているはず。あのばかムスメ、早速バッグを略奪されて、この携帯電話はゴミ箱の中で鳴っているのじゃあるまいな。
寒いのか怖いのか、震えてくる。
神様、どじで間抜けな奴ですけれど、どうか助けてやってください…。
あ、教会でも拝観しているのかな。



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