2016/9 [HOME]

++ 日記 ++

2016/9/23(FRI)
村上春樹「海辺のカフカ」を読んだ。読んでいる間、どうにも少し精神のアンテナが変えられた。と同時に、読まずにいられない媚薬のようなおもしろさに引き込まれた。ともあれ、つぎはまともな生活から生まれたものを読みたい

123-3
書くことは何もないなんて言いながら
こう書いている
書くことがなければ書かなければいいのだ
書くことがないのに書くなんて
おかしいんじゃないのか
でも今どき
なにが正しくてなにがおかしいなんて
だれが断定できる
だれも断定できない
まるであさっての天気予報みたいだ
なにもかもぼんやりしてるから
なにをしてもかまわない
なにを書いてもとがめる人はいない
そのかわり
ひどくひとりぼっちだ

2016/9/19(MON)
「長田弘全詩集」(654ページ)を読んでいる。学生のころ読んだ朗読したりした、「クリストファーよ、ぼくたちは何処にいるのか」をなつかしく読み返した。そのほかに短い、いい詩がけっこうあった。なんというか、深いそうな長い詩が多い中で、安心できた。「知っているか/lifeはIfとlieで/できている」、また「nowhere」、さらに「千人語」のことば遊び。

2016/9/12(MON)
124
きりがない

ある名簿をめくり、作った雑誌を送りたい人の名前の前に丸を付ける。送らなければならない人の名前の前にも。「あ」、からはじめて、「わ」、まで。5000人ほどの中のばらばらの一つかみ。とはいえ、一人の人に送るのに140円かかる。メールならずっと安いのに。いったいいくらかかるんだろう。「あ」から数えはじめて、124人。ほんとかな。2回目、「和」から「あ」まで、目をしばたきながら、133人。あれ?ダメだ、こりゃ、明日、数字に強い妻に頼もう。あくる日、妻の1回目、116人。次は50ずつチェック、100までOK、そして最後は124、ぼくの1回目と同じ、これが正解。そうか、よかった。確認の意味で、50までチェック、ところが50までで2人ちがう、あれれ、ああ、しょうがない、しからば最後の切り札、赤い丸の下に小さく番号、1,2,3,4…そしたらなんと、最後の数字は127!
だがこれが本当の数字か、信じていいのか、番号を飛ばしてないのか、番号のつけ忘れはないのか、5つのどの数字を信じればいいのか、疑いの芽がゾクゾク、もう、きりがない。

2016/9/8(THU)
きのうの夜、かえってテレビをつけたら、「アナザーストーリー」で「ハドソン川の奇蹟」をやっていた。まさに「奇蹟」といっていいほどの、人の勇気と決断と重なった偶然と運の良さがもたらした結果だった。そのあと、「クローズアップ現代」で、「日本のものづくり復活、ビックリ家電続々登場」を見た。ベンチャー企業の台頭、IOTの大きな可能性など、テレビから熱い心をもらった。

2016/9/2(FRI)
スイカ始末記−2
★ぼくは種を出しません
たねをださないと
たねが盲腸にひっかかって盲腸炎になるゾと
脅された覚えがあります
たねを出さなくなったのは
盲腸炎で入院した中学2年のあたりからかな
出さないのはただ面倒だから
★台湾にいたころよくスイカの種を食べた
彼らは前歯でピシッと割って
中の仁を舌ですくって食べた
あたりまえのように優雅に
彼らはカボチャの種、ヒマワリの種、松の実も食べた
たまに食べると、台湾的時間が流れる
★もらったスイカを日の当たらない
風の通る場所に置くのだけれど
ぼくとカミさんと母が人の消化する速度は
夏の暑い空気がスイカに及ぼす影響にははるかに及ばす
開けると果肉がサクサクでなくぼそぼそになっていて
削ったりすてたりした
★ぼそぼそだけど悪くなってはいない
けれどスイカのさわやかな歯ごたえはもうない
どうしようか 捨てるのももったいないし
これでジュース、作ってみようか
★マレーシアにいたときよくスイカジュースを飲んだ
カミさんも遊びに来た母も大きなグラスでよく飲んだ
どうして日本にないんだろ、スイカジュース
いつも話題になった
★でもどうするの
そうだな、ま、果肉をマッシャーでつぶして
あのざるで濾してしてみようか
ちょっとのんでみる?
おいしい、このままでいいよ







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