2011/9 [HOME]

++ 日記 ++

2011/9/27(TUE)
帰って、晩ごはん食べて、ソファにもたれ、
寝る。明日になるちょっと前に起きて、
顔を洗い、読みかけの本を開いたり、
メールにささやかなぬくもりをみつけたりする。
異国でとりかわす日本語は、取引の手段だから、
家に帰ったらすぐ舌を抜く。
ふたたび横になるまでの数時間、
起こして、立たせて、日本語の森をさまよう。
深呼吸すると肺のあたりから水色の糸トンボが
飛び立つ、こともたまにある。

2011/9/5(MON)
3連休だ。どこにも行かず、心身ともにゆっくりすることにした。
中日の今日は午後から市場に買出しに行く。
魚を見ていたら、アジがあるではないか。25センチほどの立派なやつ。目がまあまあ透き通っていて、たたきにできると断定し、3尾買う。5万いくらか。
うちで開いて、味噌がないので塩とヌクマムをふりかけ、万能ねぎを刻んで、報著の背中でたたいて、混ぜて、冷蔵庫に10分。うまかった!言うことなし。
この日はマッドクラブも1杯まるまる塩茹でで食べた。ちょっともったいないな。


このところ、村上春樹を読んでいる。同僚の奥さんが好きで、このホーチミンに著作を持ってきているというので、この機会にはじめから順番に読もうと思ったのだ。
もともとあまりいい印象はない。デビュー作の「風の歌を聴け」は高校生のときに風邪で休んだ布団の上で一気に読んで、さわやかな興奮を覚えた。
その後はいくらも読んでない。読んだものも面白くなかった。今話題の「1Q84」も1冊目を50ページも読んだろうか。


なんかふわふわした、地に足の着いていない書き方だな、という印象だ。私が感じる生活感というものが感じられない。たとえていえばすべてオブジェ的だ。
鼠との、ガールフレンドとの会話に強くそれを感じる。会話の流れが、そこにあるだろう論理が見えない。
あるいは見えなくてもいいのかもしれない。見える何かなど書きたくないのかもしれない。ただ、感じてくれれば・・・そうなのかな。


とても魅力的ではあるのだけど、ふわふわしてどうも落ち着かない。
若い人にとても人気がある由縁がこのふわふわにあるとしたら、「しっかりしろ」と唐突だが言いたくなった。
30も近くなれば、いやおうなくさまざまな形で、生活というものが降りかかる。それらとと向きあうのはウザッタイ。根を持つのが怖い、自信がない的感じ方。


突然であるが、男が弱くなった、草食系とか言われる男が増えた一因に村上春樹の小説の登場人物があるといったら、怒られるだろうか。
でも、そんな気がする。



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日記帳(3) v1.02.00 エース (素材協力:牛飼いとアイコンの部屋)