2009/9 [HOME]

++ 日記 ++

2009/9/29(TUE)
今日は何日?
忘れた
何か予定は?
あったようなないような

覚醒を混沌がうっすらと包み
ものが形を変える
あれは何?
あれは、ええと・・・

「さよなら」だけはたしかに
「こんにちは」の聞こえないページへ
めくる指の音がする

2009/9/28(MON)
1ヶ月ほど前からものを噛むと左の耳の裏あたりがカクッとする。顎関節に以上ありと思うのだが、痛みもないし、夏休みで一時帰国の間だったので気ぜわしさもあり、放っておいた。いや、担当が歯科医だとわかったので、ハノイに帰る2日前に行って訴えたのだが、安静にしておけばいいとのご宣託だったので、ハノイに来てからも気をつけてできるだけ「安静」にしていた。でも収まらないので、意を決して(海外で、ことに言葉に自信がない国で医者に行くには、決心せねばならぬ)SOSという病院のドアを押した。その結果、耳に炎症ができていて、そのせいでゴトゴト、カクカクいうんだとか。ホントカナ、と素人がプロを疑ってはいけないので、薬をもらって、キチンと薬を飲んで10日目の今日、よくなった気もするが、どうなのか。油断できない。

2009/9/24(THU)
特に何も書くことがないとしても、
ここに向かうと言葉が文字の形で流れる。
そんな風なときもあるし、
つっかえてつっかえて、転んで、ポシャッちゃうこともある。
おれおれはいたの言葉はどこを流れておれにたどり着き、おれの中のどこを通ってあるいは文字になり、あるいは声になるのだろう。
おれはいったい、ことばを育てているのか、ことばに育てられているのか。
言葉は種なのか、果実なのか。
この日記に向いながら、
種のまま何も現れないとき
芽が出てわずかの可能性を示すとき
花開きまわりに鮮やかな色と形を見せるとき
実になり齧られ他の生物の血とまじるとき
おれはおれにとどまったり
おれ以外の眼を持ったりする

2009/9/17(THU)
今、午前2時。
また晩ごはんのあと、ソファで寝てしまった。
疲れているのだろうか。
水曜の今日は午前中授業はなく、午後2時から4年生の能力試験1級のクラス3コマ、5時過ぎからベトナム人の先生たちへの1級対策3コマ。
いずれもボランティアだから、力を入れなくてもいい、というわけには行かない。
ちゃんと準備し、ただし、やりたいことを織り込んでやる。
うれしいことに反応がいいので、意気込みが感じられるので、こちらものってしまう。
なんか、ありがたいことですね。
反応というのはなんだろう。
お互いに感じるもの、それは実に些細な形で現れ、互いにことばや形にならないまま、感じてしまうのだと思う。
それを愛と言ったら大げさだろうか。
他人の言動、存在そのものを意識し、相手の言動に応える。
そんな他人との関係。
愛ということばを越える、周りの生物、事物との暖かい関係を表す普遍的なことばはないか。
思いやり、気づかい、やさしさ・・・
普遍性、象徴性が足りない気がする。
そんな、ことばにならないが確実にまわりに生まれるモノによって、支えられている。
そう思う。

USオープンが終わった。
フェドラーが負け、イチローが9年連続200本安打を達成し、おれは怠けて、やろうと思ったことができないまま、ソファで真夜中の2時に目覚める。

2009/9/11(FRI)
机の上のモノたち

集まってきたのか
集められたのか


グラス
中の麦茶
サプリメント
そのケース
折られたティッシュ
カドケシゴム
蛸のせんべい
その透明ビニール袋
エアコンとテレビの
リモコン
数本の毛糸編み針


ヒトの
論理では
もちろん
集められた けれど


ヒトの目がないときの
それら 堂々としたさまは
日本語の
自動詞が似つかわしい

2009/9/4(FRI)
またテニス漬けの2週間が始まった。
2009USオープン。
何しろ大1試合から、ファイナルまで、全部見れるんだもんな。
何にもしないでそんなんでいいのか、とささやく声もあるけど、マ、いいや。
でも、英語の解説、わかりゃもっともっと楽しめるのにな。
部分的にしか聞き取れないのが、くやしい。

2009/9/3(THU)
(きのうの続き)
そんな、めでたくもさびしい日なので、入場無料。
われら二人はベトナム人の人たちに混じり列に並ぶ。
バッグは中を透視され、カメラを預けさせられる。
前に進むにつれて、子どもたちのにぎやかな声が消え、両側に真剣なまなざしの銃剣を肩にした警備兵が立ち、子どもの帽子も取るよう注意され、2列縦隊は冷えた暗がりの中を一歩一歩進む。
階段を上り切ると、暗がりの中にコの字型の回廊があり、コの字の中央にホーチミン氏が顔と組んだ両手に明るい紫の光を浴びて横たわっている。宙に浮いている感じがする。足を止めることも手を合わせることもできず、ただ静々と進む。そして、角を2回左に折れ、階段を下り、夏の陽光の中に出た。
まだ浅いベトナム人との付き合いからいっても、ホーチミン氏は「ホーおじさん」と呼ばれ、親しまれている印象がある。横たわっていたのは、人形ではなく、特殊加工した遺体そのものだということだ。そのあと、ホーチミンの家を見学し、家族連れや軍服姿のベトナム人の方々と短い時間を過ごし、何か明るい気持ちで暑いバイクのシートをまたいだ。

2009/9/2(WED)
きのう、今日と休みが続いた。
火曜日、水曜日の休みはテニスなどの決まった予定がなく、暇で、暇であることを味わっていた。
といって、何もすることがない状態でいることはできず、「カフェ・モッ」に行って、餃子定食を食べ、「はじめの一歩」、4冊と通して読んでいない「スラムダンク」を10冊借りてきた。
テニスのUSオープンも始まり、漫画の合間に「破弾」(堂場俊一)も読みながら、つまり、「勉強」にならないことだけをやっていた。
これを、「遊んだ」というのかな。

ただ、きのうの朝、早起きして、といっても8時過ぎだが、「ホーチミン廟」に出掛けた。そしたら、すごい人。(今日になって知ったのだが)9月2日の今日は「独立記念日」で、しかも、ホーチミンのなくなった日ということで、きのう、今日とホーおじさんに会いに来た人でいっぱいということだった。



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