2016/8 [HOME]

++ 日記 ++

2016/8/25(THU)
スイカ始末記

毎年お盆に墓参りに行った帰りに寄る親戚の家があって、決まり事みたいにスイカとメロンをもらってくる。いらない、もういいから、うん、でもすぐ食べられるのがあるからちょっと待っての、などと同じような言葉を交わし、結局毎年軽自動車ではあるがうしろの荷物置きと座席いっぱいに野菜くだものをもらってくる。

その日から、スイカとメロンの地獄の日々、イヤ天国だったんだ、初めは。スイカとメロンが地獄を感じたんじゃなくて、ぼくら、です、念のため。

スイカ、メロン、好きです
ことにスイカは一番好きなくだものです
ベトナムやマレーシアでいろいろなトロピカルフルーツを食べました
マンゴー、パパイヤ、ジャックフルーツ、ドリアン、レイシ…
でもスイカにはかないません
細長いスイカをよく食べました
あのサクサクとした触感
さっぱりした甘さ
果肉が赤いのも好み

ぼくは種を出しません
たねをださないと
たねが盲腸にひっかかって盲腸炎になるゾ

2016/8/20(SAT)
123-2
書くことは何もないなんて言いながら、こう書いている
書くことがなければ書かなければいいのだ
書くことがないのに書くなんておかしいんじゃないのか
でも今どきなにが正しくてなにがおかしいなんて
だれが断定できる
だれも断定できない
まるであさっての天気予報みたいだ
なにもかもぼんやりしておれば
なにをしてもかまわない
なにを書いてもとがめる人はいない
そのかわり
ひどくひとりぼっちだ

2016/8/18(THU)
3回目の市民大学へ。酒田の国際化について。おもしろかった。刺激された。レクチャラーに「シテ」と「ひょうたん」を渡す。
なぜか知らないが、やる気になってきた。DJ,詩学の友のエッセー、詩集原稿のチェック、10月の吉野弘の講座、やってやろう。

改行して、始まるなにかがある
見知らぬ一行へ
おれはネズミのように旅立つ
なんでネズミのようになのかわからないが
ふっと浮かんでしまった
きっとそれなりの意味があるのだ
ネズミ、すきか
いや、たいして
ネズミ、うまいか
まあ、うまかった
こんなおれとネズミの接点とは


改行して
何かがこんなふうに始まった

2016/8/8(MON)
123
書くことは何もない
なんていいながら、こう書いている
書くことがなければ書かなければいいのだ
書くことがないのに書くなんておかしいんじゃないのか
でも今どきなにが正しくてでなにがおかしいと
だれが断定できる
だれも断定できない
まるであさっての天気予報みたいだ
なにもかもぼんやりしておれば
なにをしてもかまわない
なにを書いてもとがめる人はいない
ひどくひとりぼっちだ

124
夏のある日
昼寝から覚めた
指がなにか言っている
右の手の親指と人差し指

その指でオニヤンマの羽根を挟んだ
鳥海山の五合目当たり
小さなトンボが群れ飛ぶ間を
ホバりングしながら道案内
笹にとまった

そろり呼吸を合わせ
おれは息をしてたかどうか
たしか親指と人差し指で透明な
羽根を挟んだ そうだよね
ヒトの二本の指で挟まれたのは 
確かかい オニヤンマ
きみの羽根のザラザラは
昼寝するたびに薄れ
夏は薄れていく

2016/8/7(SUN)
夏のある日
昼寝から覚めた
指がなにか言いたそう
右の手の親指と人差し指

その指でオニヤンマの羽根を挟んだ
鳥海山の五合目当たり
小さなトンボが群れ飛ぶ間を
ホバりングしてながら道案内して
笹にとまった

そろり呼吸を合わせ
おれは息をしてたかどうか
たしか親指と人差し指で透明な
羽根を挟んだ そうだよね
ヒトの日本の指で挟まれた
のは 確かかい オニヤンマ
きみの羽根のザラザラは昼寝のたびに薄れ
夏は暮れていく


蜂飼耳氏の「おいしそうな草」、おいしい。
八木重吉「草をむしる」
 草をむしれば
 あたりが かるくなってくる
 わたしが
 草をむしっているだけになってくる
意味でなく、感覚としてわかる、いや、わかるという言い方でなく、言葉にしなくて、ただ感じられるなにか。その脳内のもやもやした抽象画のようなもの。不定形のもの。
また、西脇順三郎の「太陽」。あれはなにが効いて、あの味がでるのだろう。あのおいしさはどのことばから?

2016/8/4(THU)
書くことは何もない
なんていいながら、こう書いている
書くことがなければ書かなければいいのだ
書くことがないのに書くなんてビョーキじゃないのか
今日なにがビョーキでなにがビョーキでないと
だれが断定できるだれも断定できない
(きょうはここまで)



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