2013/8 [HOME]

++ 日記 ++

2013/8/29(THU)
今、北海道の熊牛原野にいる。
友人の書棚にあった本の中の詩を記録のため、ここに写す。

 レストランの片隅で
 ひっそりとひとりで
 食事をしていると
 ふいにわけもなく
 涙があふれることがある
 なぜあふれるのか
 たぶん食べるそのことが
 むなしいのだ
 なぜ「私が」食べなければ
 いけないのか
 その理由が ふいに
 私にわからなくなるのだ
 分からないという
 ただそのことのために
 涙がふいにあふれるのだ

     (「石原吉郎」勢古浩爾より)

2013/8/18(SUN)
たとえばこの日記は
日記といっても14日から次は18日だ

間の15,16,17日は何を思い、何をしたのだろう。
考えるべきことを考え
するべきことをしたと思いたいのだが・・・

この1日、起きている時間の18時間×60分×60秒の
刻々に滝のように失っていくものの声がする
(もはや音というべきだろうか)
聞こえないセミの声のような

せかされている
せかしているのはおれなのだが
自縄自縛
アホみたいと思っても
ジジョウジバク
どうしようもない
どうにもならない

2013/8/14(WED)
送られてきたものに
返礼のひとことも送り返していない
なぜか


あくびを一つもらし
しばらくすると今日のページがめくれてしまうのだ
知らぬとは言えないが知っていると断言もできない間に


karahaittaiichinichinaniwoyattesugoshiteirunoka
彼は果たして一日をどうやって過ごしているのか
私も知りたい
あるいはわからないことばの氷山を前にして
歯をカチカチいわせながら爪で文字を刻もうとしているか


わかることとわからないことのバランスとは
考えることと考えないことの割合とは
こたえがないしつもんは立ちすくすしかない
いっそことばを洗い流してみたら?

2013/8/13(TUE)
書く事なんてない、
と書くと、
本当に書く事がなくなってしまう。


歌える歌なんてない、
と言ってしまうと、
本当に歌える歌がなくなってしまう。


見るつもりで見れば
楽天の空には
可能性が二次元のまま
影踏みの鬼に捕まらないで浮いているのだ 

2013/8/11(SUN)
今日からお盆。離れている家族がここに集まる。これから1週間ほど、「家族」中心の生活になる。小さな孫が二人来るから、虫取りに行ったりプールにお供したり、慌ただしい、いつもと違う時間が流れるだろう。ん、ん、ん、それもまたよきかな。

書く事なんてない、
と書くと、
本当に書く事がなくなってしまう。

歌える歌なんてない、
と言ってしまうと、
本当に歌える歌がなくなってしまう。

静かに深く潜行せよ
そして

2013/8/1(THU)
 はや8月


ふとんに腹ばいになってメモ帳を寄せる
詩を書くのだ
何について?
いや、詩を書くのだ
詩についてという詩を書くのだ
マッチをするように言葉が言葉とスパークする
そんなきな臭い詩

窓の外は細い雨が降り続き
肩のあたりはひんやりしている
低気圧のせいで低血圧低血糖
だのに今日からしようもなく8月
だのにまだおれの言葉はさなぎのまま
8月の詩よ
雷と肩組んでどこらあたりで寄り道してる!?




  歌わない歌


君がいないときに君を想う
挿したばかりの桔梗
君がいるときに君を想うすき間がない
君とおれの波動が
触れ ぶつかり 絡まり ほどけなくなり
固まったまままた明日

いつだったかずっとむかし
サカタのコミナトの浜辺で
シベリア季節風の消えかかるころ
僕ら想うように出会った
そんなことをたまに
ことばにして眺めるときがあっても
いいのかもしれない



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日記帳(3) v1.02.00 エース (素材協力:牛飼いとアイコンの部屋)