2004/7 [HOME]

++ 日記 ++

2004/7/15(THU)
「ザンザカ」という擬音を使った有名な詩があると教えてくれた青山かつ子さんに電話したら、山田今次さんのような気がする、とおっしゃる。まだ調べてないから、はっきりしたことはわからない。山田さんの作品はあまり読んだことがないので、もしそうだった場合、私は「ザンザカ」というオノマトペをどこから得たのだろう。どこかで、山田さんの作品を読んでいて、記憶していないということか、あるいは私の造語か、小説か何かで見かけたか。ちなみに、広辞苑に「ザンザカ」という見出し語はない。「ザンザン」という雨が強く降る様子を表す語はある。また、青山さんによると、「ザンザカ」だけじゃなくて、「ザンザカザカザカジャンジャンジャン」みたいなヴァリエーションがあるとのこと。

2004/7/27(TUE)
ポエケット。初めて1日いて、印象的だったのは、若い人たちが多かったこと。若い、といっても詩の世界では54の私でも、「若くていいね」などと言われるけど、そんなんじゃない、正真正銘の20から30才ぐらいまでの人たちが、「詩」を求めて集まってくるんだぜ。ナントカ詩人会の会合で出会う詩人たちとはとにかく年齢層が違った。若ければいいわけじゃない。また、彼らがどんな詩を書くか、よく知らない。ただ、「詩をまじめに好きな若者」がこんなにいるなんて!と新鮮にショックだった。少しづつ彼らの詩を読んでいこう。

2004/7/25(SUN)
久しぶりに開いたら、カウントが1000を超えていたので、おれの詩集のタイトルじゃないけど、「ア」(軽い驚き)。ポエケットのことを書いて、理不尽にも二度も消えちゃって、ガックリした数日前はたしか、800いくつだった。こんなに見てくれてる人がいるんだ!信じがたい、なんていっちゃいけない。どなたか存じませんが、ありがとうございます。もっとも、詩集「ア」も全編アップしてるから、そちらかもね。どちらでも、うれしいことに変わりないッたら、変わりない。

今、その詩集「ア」をいろいろなところに発送してるんだけど、その封筒にちょっと仕掛け(?)がしてある。前は封筒に直にサインペンで書いてたけど、この詩集を作ったことを契機に差出人も送り先もラベルにした。差出人は小、送り先は大。そして差出人のラベルには私の住所、名前と、その下に「★ラベルをはがして再利用★」と小さく印刷されている。そして、メール便で送る。クロネコヤマトのメール便は、郵便局のようにスタンプじゃなく、やっぱりラベルを使用。つまり、封筒には3枚のラベルが貼られて、送られる。受け取った方は、このラベル3枚をはがせば、また使うことが出来る。いつも思うのだが、封筒を1回使って捨てるのはもったいない。これなら何回か再利用できるんじゃないかな。というふうなことを考えましたので、賛同なさる方がいれば、いっしょにやりましょう。
ちなみにはがすのに、うちはコクヨの「シールはがし」を使っている。スプレー式だが、けっこうきれいにはがせる。乾けばあとも残らない。
未解決の問題点もあって、それは、封筒のはがしやすい閉じ方。のりをつけたり、ガムテープで封をしているが、再度使うためにきれいにはがす方法が見つからない。どなたか、いいアイディアをください。

2004/7/20(TUE)
なんか変だな。
ポエケットのことを気分よく書いていたのに、急に消えてなくなってしまった。どうしたんだろう。
それとともに、ここ1週間ぐらいずっと画面の右下に出ていたウイルス警告も(今のところ)出てこない。
わからない。今日はここまで。
(ポエケットのたたりか。)

2004/7/19(MON)
ああ、ポエケットのことを長々書いたのに、一度アップしたのに、「それから」というよけいな4文字を消そうとして、前文消してしまった。もう戻んないよね。ああ。今は書く気ない。

2004/7/13(TUE)
詩を意識して書き始めたのは高校3年からだから、もう30年以上「詩」とつきあっていることになる。高3のときのクラスで、担任が詩人で、男のクラスメート6人ぐらいで詩の交換ノートをやっていた。ハハハ。堀田善衛の「若き日の詩人たちの肖像」を回し読みしたりして、受験勉強そっちのけで、フォークソングの歌詞のごとき作品を作っていた。
おっと、書きたいこととずれてきてしまった。
えー、こんどの詩集「ア」に「ザンザカ」というタイトルの、こんな詩がある。

  ザンザカ


 雨は雨らしくふれ
 ザンザカふれ

 屋根という屋根をぬらし
 天井をぬらし壁をぬらし
 机の引き出しの奥の封筒の
 すました眉のような文字にしみこんで
 根こそぎ透明にするまで

 雨なら雨らしくふれ
 ザンザカザンザカふれ

 先週の日曜のあんな
 くたびれた霧吹きのような
 ぐずぐずのイジイジの雨はもう
 まっぴら

 雨が雨らしくザンザカふれば
 おれの男もザンザカぬれて
 尻ポケットのマッチの火照りも
 無精ひげの先の思惑も
 かじりかけのりんごの歯のあとも
 みんな地べたに流して
 ザンザカザンザカ
 きれいさっぱり忘れてやる

詩集「ア」を送ったある詩人からのハガキに、「ザンザカ」という擬音を使った有名な詩がすでにある、とあった。その作品の作者名はなかったので、誰のなんというタイトルの詩か、わからない。わからないのだが、そういわれれば、読んだことがあるように気がしないでもない。妙になつかしいフレーズではある。おれの中に深く沈潜していたことばが、ふっと表れたのだろう。きっと、おれのことばの倉庫には、先人詩人たちのことばやフレーズが色あせることなく、しまわれているのだろう。
高3のときから読んできた詩の数もけっこうある。その中から「ザンザカ」を含んだ1編を、記憶を頼りに探しだすのは、ムツカシイ。どなたか、ご存知ありませんか。
 

2004/7/8(THU)
なんか、俳句をはじめてしまった。
詩を書く上で、いい練習になるという事だったけど、確かにそう思う。その場で作品を作らざるを得ないという状況の中で、どんなものがしぼり出せるか、それが楽しみ。僕は、「火事場のバカ力」的な能力がたいがいのヒトにはあるのではないかと思っていて、それを発揮する状況にないからその力を知らないだけ、と思いたい。ま、自分が自覚していない自分の能力の可能性、だね。時間があれば書ける、いい環境でなら書ける、そうじゃなくて、いまの自分を超えるためには、「追い込まれなければいけない」んだ。その、突き詰めた状態で、詩なんか落ちてこない状況で、「無理して書き上げる」、それを、句会という席では味わうことができる。
それにしても、俳人のエネルギーはすごい。12時半から夜9時過ぎまで、新宿御苑の散策から新宿2丁目の主宰の経営するバーまで、延々歩きながら、俳句を作る、つまり吟行し続けるんだぜ。日ごろ、テニスで鍛えているつもりの僕も、いや、ちょっと大変だった。もっと大変だったのは、御苑で1回、 中華料理屋で1回、バーで1回、計3回(3,2,3の計8句)も俳句を作らされたこと。たいした出来ではなかったけど、中華料理までは、「作品を作る」的余裕は少しあった。けれど、バーでは、もう何にもなし。からっぽ。こころカラカラ。でも、でも、作んなくっちゃいけない。つらかった、焦った、時間が迫る、どうにも形にならない・・・そんな中でともかく3句、提出した、つまり発表した。できた、そうやっていくしかない。
 ・向日葵は黄色だけで生きている
出来はどうでも、ギリギリでうかんだ、うれしい1句です。

2004/7/3(SAT)
7月ももう3日になったのか。
休日の今日は、一人でうちでごろごろしていた。というふうに、意思的に何かをやるんじゃなくて、流されて浮かんでいたかったけど、やっぱりそんなことできないんだな。テレビを見るんだって現れた映像そのままじゃなく、カチャカチャ番組を選んじゃう。テレビを消せば、目は次のえものを求めて本棚やマガジンラックをさまよう。判断する、という歯車を休ませたかったけど、そうもいかないみたい。
夕方になって、耐え切れずに出かける。といっても、晩ご飯の買い物。豚挽き肉、ワンタンの皮、空心菜、食パン、マーガリン、桃、それに夕焼け。



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日記帳(3) v1.02.00 エース (素材協力:牛飼いとアイコンの部屋)