2011/6/18(SAT)
他のメディアに書いた日記から。 ******************************* 110529
TOEIC。さまじく難しい。ちょっと勉強すれば届くレベルではない。ともかく語彙、読む速さ。つまり実力がないということ。自信がなくなる。疲れたああ。
走り始めて4日目。気持ちが切れないように、ゆっくりでも走る姿勢を保つ。1周のあと、 少しずつ伸ばして次で1周半。 同時に腹をへこますために力を入れながら。
考えてみれば、 テレビ番組なんかも毎週見るものがなくなって、ここ酒田にも日本にもおれはまだ定着してないと感じる。 根なし草。
手塚ブッダ、13巻読む。
帰国してから、最近とみにあせっている気がする。 ちょうどKLにいるとき、夜遅くまでPCに向かって、強迫観念に捕らえられていたころを思い出す。余裕がなくて、何かしていなくては落ち着かなくて、どこか投げやりだった。 生活の基礎がない。テニス、詩、日本語関係の人間関係があやふや。おれもいつここからいなくなるかと確定するものがないから。
しっかりと動ぜぬものが今はない。
やたら否定の向きが多いな。
「石の詩」79 「三度のめしより」で紹介されている野田新五作「文旦」がいい。具体を書いて抽象を見せる。こうありたいもの。最近は好きな詩に出会わなくなったが、これは好きだと言える。 「アリゼ」142号 さすが読ませる。林堂氏「ドラマの観客」??このタイトルは・・・ 「宴」在間洋子。
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雨の中、今日も走る。1周と5分の2ほど。 しかしきついな。 自分に克つ、だと?「頑張ろう」などと同じように恥ずかしい物言いだ。 しかし、その通りでもあるのだ。 ランニング・ハイなんて訪れない。 ただただ息が苦しくて、歩いてしまいたいという強烈な誘惑にかられる。 自分の中に悪魔のささやきをこだまさせたまま、何も考えないように押さえて ただ足を交互に先に出す。それのみ。
和合さんの詩が注目されている。 読んでもわからないだろうけど、いや、わかるわからないではないのかな。 最近の詩は。では、面白いかどうか。でも、面白いというのは何だろう。 面白いと感じるには、理由となる要因があるはずだ。
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「原点回帰」なのである。 日本語教師になりたての頃のわからないことだらけだったけど、 素直に陰ひなたなく、平らに眺められた。 そこに戻ろう。 近くのあまり大きくない日本語学校で地道に教える。 あるいはアジアの補習班や学習塾で、心をこめて学習者をサポートしたい。
走る。今日で6日目、たぶん。1周半を少し超えた。 あの息遣い、苦しい喘ぎ声。なんとかならないか。
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走る。今日は初めて2周走った。昨日1日休んで、一挙に距離が伸びた。とにかく、歩かない、止まらない。恐ろしくスローペースだけど、今のところ早さは関係ない。2周コンスタントに走れるようになったら、スピードのことを考えたい。
ワラビ取りに行って、30キロほど取ってきて、次の日からなんという、この腰痛、筋肉痛。かがんだままで、前後左右ワラビ、ワラビ、ワラビの海!そしたら、この腰の痛さ。
走った後、コース途中のベンチで、腹筋50回。お尻の皮がむけないように。
「ロビンソン、この詩は何?」を再読。 辻さんの文の柔らかさ、さりげなさ、それでいて感じる芯の強さ。 意識が再び詩に向かう。詩を書き始めよう。
「行けるところまで」
家を出て、松林の中のジョギングコースに入る。 早く行こうなどと思わず、とにかく止まらないこと、歩かないこと。 5月にしては肌寒い空気を、はあはあ吸って、はあはあ吐きつつ 膝を曲げて少し前かがみに
腰が痛い。筋肉痛。 それにしても昨日のワラビ取り。 1, 2本みつけ、手を伸ばしかがむとその前後左右に太くて長いのが見つかり 腰を上げることかなわずかがんだままで 目はワラビ目になり血走り ほれ、ほれ、ほれ 手当たり次第にスーパーの買い物かごに放り込み、 斜面でバランスを取り、滑りそうになるのを踏みとどまり、 その挙句、この筋肉痛 ある意味、こころよさ
はあはあはあ、きつい きつけりゃ、止まればいいさ 止まったって、歩いたって、だれも文句は言わないよ そんな顔をゆがませて そんな息を弾ませて
昨日の酒が残っているなあ よく歌った モンロー・ウォーク、17歳のこの胸に、赤色エレジー アタマ、痛
やっと1周までたどり着いた。 聞け、このふいごのような息遣い こわして砕いて地に返せ おれはおれを開け このちりちりする空気の中に 1秒前までのおれを散らせ
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