2008/6 [HOME]

++ 日記 ++

2008/6/30(MON)
今日これから北海道に行く。ブログ仲間の木村さんの招待で、明日から解禁になるヤマメを釣りに行くのだ。木村さんが家を手作りしている土地は、釧路から入った、川上郡弟子屈町の熊牛原野というところ。熊牛原野なんてすごい名前だね。テント住まいだというが、起きたら熊を枕にしていたなんて。1週間、遊んでくる。ヤマメ、イワナ、昆虫、丹頂鶴、釧路湿原・・・う〜ん、つばがわく。

2008/6/28(SAT)
カキを食った
果肉の黄色い木の上で瞑想するカキではない
しおからい沈黙の中で・・・・・・・・・・・・・・・
家族4人そろって
新宿のオイスターバーで
上の娘の誕生日のお祝いに

カキはいくつでも食べられる
ことに生のやつは
レモン絞って
口開けて
ツルルンをかむとトロリが流れ
おれはウットリ
生きる喜びが
その一瞬にある
ホント

2008/6/24(TUE)
  船上の人




車窓から海が見える
だれかのように頬杖をつく
夕方の日本海
逆光にきらつく水面の
はるかおきに船がある


船には人がいるのである
デッキで頬杖ついてこの電車をながめているのである


今、おれは帰省するのだ
潮風で歯をみがくのだ
お酒と田んぼを組み合わせた漢字の町で
歯をみがいたら
船上の人の影に入って眠るのだ

図書館から借りてきた、「現代詩手帖」(2008年4月号)が面白い。「特集・谷川俊太郎」ということで、「たのしみ」はあったのだが、ほかの記事も実際、引き込まれ、読まされるものが多かった。意外だった。予想を裏切る自分の反応が新鮮だった。どうしたというのだろう。どちらかというと、敬遠していた。ことばを鎧のように纏い、アクセサリーのように飾り、本心を隠したつきあいをするふうが苦手だった。残念にも廃刊になってしまった「詩学」、それも四、五年前までの紙面が好みに合っていた。

私が変わったのか、手帖が変わったのか。
あるいは何も変わらず、単に三年間日本を離れていて、腹のすいた身には、何でもおいしかったのか。
ま、そういうこともあるだろうけど、刺激的でおいしかったことは確かだ。

・世代差のかなりある一人と二人の鼎談もいろんな意味で楽しめた。
・山本哲也という詩人を知った。「帰る場所」という作品で。
(ここに書きたいなあ。でも、引用しちゃいけないんだろうね。どうなんだろ。)

・R・D・ブリンクマンというドイツの詩人も知った。「エリザベス・テーラーの等身大以上の写真」もいいな。ブローディガンとブコースキーのにおいが少しずつする。
・谷川俊俊太郎と三浦雅士の対談
・平田俊子の「「私」と私」という作品
・平林敏彦の「vieの犬」の時代
・四元康祐のリルケの翻訳をめぐって
などなど。

2008/6/23(MON)
好きな詩人は昔から数人いたが、今は、まどみちおさん。
シンプルなことばで、身のまわりの不思議を衝いてくる。飾ったことばで体裁をつけない。




「リンゴ」


 リンゴを ひとつ
 ここに おくと


 リンゴの
 この 大きさは
 この リンゴだけで
 いっぱいだ


 リンゴが ひとつ
 ここに ある
 ほかには
 なんにも ない


 ああ ここで
 あることと
 ないことが
 まぶしいように
 ぴったりだ



おれの中にたくさんあるおれには開けられない引き出し。この引き出しをまどさんは何度も開けてくれた。そうか、おれもどっかでこんなことをぼんやり感じてたのかって知らされた。


「いわずにおれない」というまどさんの本を読んで、そんなことを思った。


2008/6/21(SAT)
ワラビ目


数年ぶりで春に帰省をして、ワラビ採りに行った
早朝の鳥海高原は霧が流れ肌寒い
あたりは小高い丘が連なり、大きい岩も点在する
歩き始めから目を凝らし、ワラビやーいワラビやーい
やや猫背気味に立つワラビを追うがなかなか見つからない


ひとつ丘越えするうちに、あっ、あった、ほら、また
かごは徐々に重さを増し、汗をかき、その汗が冷え始め
まわりを見渡す余裕も出て、あるわあるは、すごいなここは


足が、腰が、それから目が重くなり
ボーっとしながら手はワラビに伸び、手折っている
もういい、もう十分と思いながら手が止まらず、足が従う
目を開ければそこにダダダとワラビ、またワラビ


重いかごをひきずりかげんに帰る途中で気がついた
こんなにあるのに、どうして行くときは見えなかったんだろ
車のところでワラビベテランに聞いたら
「そりゃ、おめえ、ワラビ目だ」


あるのに見えなければ、ないと同義
ないのに見えれば、あると同義
じゃ、風は、空気は、愛は、未来はと聞かれるとウーンだけど
だけど、風も空気も愛も未来も
あるワラビもないワラビも        
気がついてみれば、同じじゃないか
気がついてみれば・・・

2008/6/20(FRI)
「手帖系」という詩作品があって、いわゆる「難解」と称される一群だが、ま、現実の手ざわりが好きなおれは苦手で、その「現代詩手帖」もあまり読まなかったのだが、その「手帖」がここ1週間ばかりバッグに入っている。特集が「詩人と「私」谷川俊太郎」というので、図書館から借りてきたのだ。これが面白い。対談と座談会が殊に。この中の意見のいくつかに、線香花火のように刺激された。とともに、「私」という谷川さんの直近詩集を買ってみようかなという気にさせられた。

2008/6/18(WED)
日曜日、「日本の詩蔡」に行った。かつて詩で行き来した人たちから、三年ぶりに帰ってきた猫のように懐かしがられた。

一日置いて、昨日、詩人の先輩友達と大宮郊外の川に釣りに行った。その帰りの居酒屋で、N氏が、「毎日詩を読み、詩を書き、英語を読んでいる。毎日しないと、イザやろうとしてもできなくなるから」と言った。まったくだ。なんておれ怠惰なんだ。これで「書けない」なんてカッコつけているに過ぎないと感じた。

2008/6/14(SAT)
ラブラドール・レトリーバー



車の中で友達と明日の打ち合わせをしていた。
道を渡って、大型犬とおじさんが通り過ぎようとした。
「へえ、おっきい犬だなあ」
見ていたら犬が止まった。
止まって、黙っておれを見た。
おれもその目を見た。
犬が近寄り、おれはドアを開けて迎えた。
約束されていたことだった。
抱きながらいつくしんだ。
どこか遠い目をして犬は体を寄せてきた。
おれは屈み、犬を抱いた。
おれと犬は同じ種類の生き物だった。
生きているという一点でつながっていた。
それから
おじさんの声が「行こうか」と言った。
おれたちは静かに離れた。



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