2007/6 [HOME]

++ 日記 ++

2007/6/14(THU)
茨木のり子氏の「寄りかからず」(本当は人偏のついた「寄」なのだが)の文庫版を職場の人が貸してくれた。簡潔、直截、小気味よさ、諧謔と含羞。「わたしが一番きれいだったころ」のころから変わらぬであろう「まっすぐ」の精神はここにも息づいている。


タイトルになった作品を引用させてもらう。


 もはや
 できあいの思想には寄りかかりたくない
 もはや
 できあいの宗教には寄りかかりたくない
 もはや
 できあいの学問には寄りかかりたくない
 もはや
 いかなる権威にも寄りかかりたくはない
 ながく生きて
 心底学んだのはそれぐらい
 じぶんの耳目
 じぶんの二本足のみで立っていて
 なに不都合のことやある


 寄りかかるとすれば
 それは
 椅子の背もたれだけ


ふと相田みつを氏の諸作を思い出してしまった。彼の作品が詩というならば、これも詩だろう、などと不遜な思いがよぎった。心情吐露にごく近いが、ここには屹立する意思がある。挑戦があり、個の自負がある。おわりの三行で、三次元のふくらみがでている。タイプとして、好みではないが、ある意味で詩の原点に近いにおいもする。

2007/6/13(WED)
書かないことは生きていないこと
他の人々にとって
見えない、聞こえない、つながらない


昔、英語の勉強をするために
FENを聞こうと思い、通信販売で
短波の入るラジオを買った


それでどうしたか
推して知るべし


そのラジオは今もある
納戸の奥のダンボールの中
どこも古びてもいずに


もういいかい
まあだだよ


ここだよ
早く見つけてくれよ

2007/6/12(TUE)
書き写すことで
何かがおれにもたらされるのか


机のガラス盤の上を1ミリの蟻たちが
右往左往する
このことばこそ
いまのおれにふさわしい
右往左往


左人差し指の腹で
列をなすやつらをつぶす
張り付いたのをティッシュでふき取る
だれのものとも知れぬ神が
おれをふき取るように


もとい
次の詩を書き写す
何かがもたらされることを
ひそかに、でなく
明らかに願いながら


 木は
 いつも
 憶っている

 旅立つ日のことを
 ひとつところに根をおろし
 身動きならず立ちながら


 花をひらかせ 虫を誘い 風を誘い
 結実を急ぎながら
 そよいでいる
 どこか遠くへ
 どこか遠くへ


 ようやく鳥が実を啄ばむ
 野の獣が実を齧る
 リュックも旅行鞄もパスポートも要らないのだ
 小鳥のお腹なんか借りて
 木はある日 ふいに旅立つ―空へ
 ちゃっかり船に乗ったのもいる


 ポトンと落ちた種子が
 <いいところだな 湖がみえる>
 しばらくここに滞在しよう
 小さな苗木となって根をおろす
 元の木がそうであったように
 分身の木もまた夢みはじめる
 旅立つ日のことを


 幹に手をあてれば
 痛いほどにわかる
 木がいかに旅好きか
 放浪へのあこがれ
 漂白へのおもいに
 いかに身を捩っているかが
          <茨木のり子「寄りかからず」より>

さて、どんなもんだろう
手早く指先を洗い
試しに体重計に乗って
そののち 身支度をちょっとして
今日の顔してでかけるのだろう  
 



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日記帳(3) v1.02.00 エース (素材協力:牛飼いとアイコンの部屋)