2005/6 [HOME]

++ 日記 ++

2005/6/28(TUE)
思ったとおり、学校のパソコンが直ってこない。マレー人の先生に電話をしてもらったら、ハードディスクが完全にアウトだとのこと。dellから、ハードディスクを送ってもらうまで待て、らしい。それにしても、普通に使って、次の朝立ち上げようとしたら、だめだった。そんなことって、あるの?
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うちのパソコンも、もう2ヶ月、戻ってこない。日本で買ったものだから、外国で修理できるようtransferしないといけないというので、メールの、英語で書いてある書類に、同僚の英語の達者な先生に手伝ってもらって何とか送ったのが、一月ほど前。それから、届いてないだの、いくら電話しても出ないだので、ここまで来た。きのうやっとdellの担当者と連絡がつき、さて、これからは順調に進展するや否や。
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この日記は職場の共有のPCで書いている。日本との連絡で、不自由はないのはありがたい。それから、海外に持っていくのはやっぱりノートがいい。おれはデスクトップを持ってきたのだが、電圧変換器(コンバーター)が必要だったり、面倒。ノートはそのまま使えるようだ。
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先週の土曜日に「蛍のクリスマスツリー」を見に行った。車で2時間弱。夜8時ごろから4人ずつ船に乗り、20分ほどの蛍見物。なんというか、幻想的としかいえない。川岸の背の低い潅木全体がいっせいにほの明るく光ったり消えたり・・・不思議なものでした。
帰りに道端の屋台で、ドリアンを食った。ドリアンだけを売っている専門屋台で、その場で割ってくれて、指を突っ込んでむしゃ食いした。とろけそうな・・・このとき初めて「うまい」と実感した。

2005/6/20(MON)
職場のPCが突然動かなくなってしまい、大学内のPC病院に入院中。自分ちのPCも催促すれど、返事なし状態で、早2ヶ月。で、しばらく写真日記はお休み。でも、職場のほうのは2日でOKとのことだったけど、ほんとに2日?

本格的に仕事が忙しくなって、なかなか書けない。書こうという「構え」ができない。
今はうちに帰って、英語の放送などを聴いているけど、いやあ、わかるように全然ならない。何かと「忍耐」の日々です。

2005/6/4(SAT)
そうか、マレーシアに来てもう2ヶ月がすぎたのか。

授業のことを少し書こう。
月曜から金曜までは9時10分から13時までの4時間授業。各クラスの日直は時間前に職員室に来て、まだたどたどしさののこる日本語で、あいさつして、宿題のノートやラジカセなどを持って行く。だから日によっては先生は手ぶらで行くこともあって、そんな日はどうも落ち着かない。
教室に入ると、日直が「起立、先生おはようございます、着席」などと号令をかけ、授業が始まる。「おはようございます」のあとに立ったまま誰かがコーランの一節(だろうと思う)を唱え、みな胸の辺りで両手で水を汲むような格好をして、お祈りをする。2,3,4時限の初めにも同様のあいさつ、お祈りをして授業に入る。学生は全員マレー人。皆モスレム(イスラム教徒)で、男性はワイシャツにネクタイ、女性はバジュクロンという伝統服にイスラム風のスカーフで髪を隠している。ここ、マラヤ大学の日本留学専修コースは「ブミプトラ」というマレー人優遇政策にのっとっているので、学生は全員マレー人なのである。
彼らは実に真面目で素直だ。選抜された人たちだからか、頭の構造もいい。日本に行くまでの学習時間が通常の半分ほどしかないので、いきおい、進度も早く、宿題も多く出さざるを得なく、テストも毎日のようにあるにもかかわらず、毎年ほぼ全員国費留学生として渡日するという。
それに大半の人がきちんと予習をしてくるので、文型などもあまり苦労せずに導入でき(る)そうだ。
教師にとってはいいのかどうか・・・
そろそろクラス内でも、レベル差が見えてきたけど、授業時に全員の目がまっすぐ前を見ている、というのは気持ちがいいもんです。



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日記帳(3) v1.02.00 エース (素材協力:牛飼いとアイコンの部屋)