2004/6 [HOME]

++ 日記 ++

2004/6/29(TUE)
またまたW・カーロス・Wの「あの、ちょっと」に関すること。
最近出した「ア」っていう詩集に入っている「豚の味噌漬け」はこんな詩。

 いなかの母が送ってくれた
 ガーゼに包まれた豚の味噌漬けを
 かるくあぶって
 白ごはんと食べたよ

 きみに半分
 残しておこうと思ったけど
 はしでちぎれなくて
 かんで分けたら
 歯型が残って
 かんだら
 また残って
 けっきょく
 ぜんぶ食べちゃった

 おはよう
 おれの歯形
 きみのおしりあたりに
 のこってない?

というものなんですが、似てませんか、似てるでしょう?「あの、ちょっと」と。5月29日の朗読会で、思い出して、それからこの「豚の味噌漬け」を読み返して、「ああ、やっぱりおれのどこかに、『あの、ちょっと』が巣くっていたんだ」と実感した。無意識はこわい。
実は、草稿段階ではこのあとに、「ごめん/うまかった」
とあったんだけど、削ったんだ。削って、よかった。

2004/6/28(MON)
月曜日だよ。重いよ。気持ちも引いてる。のらない。

きのう、足立区鹿浜の「スタミナ苑」に行った。
ずっと行きたいと思っていたのだが、交通の便が悪いらしく、グズグズして今になった。遠い、とも思っていたのだが、赤羽からタクシーで10分足らずの近場だったので、ちょっとビックリ。
4時半開店なのに4時についたら、もう30人ぐらい並んでいる。さすが!古い、小さな店なので、第1陣で入れず、それから1時間余。結局2時間待ちの6時でやっと入店。これだけ待って、うまくなかったら、許さんぞ!と身構えつつ口に運んだのだが、イヤ、これがうまい!ハラミもカルビもミックスホルモンもレバーもうわさのロースも、みんなみんな、なんでこんなうまいの?どうしてこんなにやわらかいの?でした。おまけに、動き回っている若い男の人たちがきびきびしていて感じよかった。若い娘を2人、連れてったせいかな。

2004/6/23(WED)
きのう、W・カーロス・Wの、「あの、ちょっと」の訳者がわからないとかいたけど、わかった。あのあと、トイレで読んでたら見つけた。トイレはえらい!

   あの、ちょっと

 ぼくは
 アイスボックス
 にあった桃
 をたべてしまったよ
 
 で それは
 きっと君が
 朝食のために
 とっておいたんだろう

 ごめんね
 桃はうまく
 すごく甘く
 すごく冷たかったよ

で、訳者は英文学者で、詩人の鍵谷幸信氏。1979年5月発行の「現代詩手帖 特集ライトヴァース」の中の「ブローディガンのいる風景」というエッセーの頭に掲載されておりました。
となると、きのう記憶をもとに書いたのは、つまり、阿蘇豊訳
となるわけで、ハイ、翻訳第1号。

2004/6/22(TUE)
6月13日の日記に、ウイリアム・カーロス・ウイリアムズの短い詩について書いたけど、その原詩がここにある。こういうものだ。

 William Carlos Williams
This Is Just To Say あの、ちょっと

I have eaten ぼくは    
the plums       食べてしまったよ 
that were in     冷蔵庫にあった
the icebox      ももを  

and which       それは
you were probably   たぶんきみが
saving         朝食用に   
for breakfast     とっておいたんだろう

Forgive me       ごめんね
they were delicious   ももはあまくて
so sweet        つめたくて
and so cold       とてもおいしかったよ

上の英語の原詩は、5月29日「アリキアの街」のポエトリー・リーディングの場でお会いした富沢さんという方から教えてもらいました。東海大学の学生で、英語の詩を読む授業でこの詩と出会ったそうです。一目で好きになったそうです。私も20代のころ出会って、気に入って、ある時期ずっと部屋の壁に貼っていました。でもずっと忘れてしまっていた。だから、富沢さんがこの詩を紹介なさったとき、こみ上げてくるものがあって、それはたぶん感激というものだったと思います。富沢さん、ありがとうございました。
右の日本語訳は、私の記憶によるものです。壁に貼ってあったのとだいたい同じような気がするけど、自信はイマイチ。(日本語訳された方の名前も忘れてしまった。どなたかご存知ありませんか。金関寿夫氏の訳もあるけど、ちょっとニュアンスが・・・)
私はライトヴァースが好きだと、恐れずに言うけど、そのもとにはこの詩があるような気がする。あとはブローディガンね。



2004/6/20(SUN)
これは日記だから、今日は今日のことを書いてみよう。

日曜日は朝からテニス。6時過ぎにうちを出て、誰もいない道を自転車でコートに向かう。台風の影響か、かなり風が強い。雲が折り重なって流れていき、時おり青がのぞく。そんな空を見上げているとふいに、なつかしい気分になる。鉛筆を削る時の木のにおいをかいだような。中学校のアルバムがめくられ、忘れていたの顔が次々に現れては消える。
戸田橋を渡り東京に入る。途中で飲み物を買おうと思うが、決まらない。スポーツドリンク系の甘さはきょうイヤ、お茶も幾種類もあるがもうひとつぴったり来ない、なんかこう、ゴクゴクいけて後味にさわやかさが残るやつ・・・なんていってる間にコートに着く。
今日の調子はまあまあ。スクールに行き始めた今は、注意されている左手を遊ばせない、体の回転を使って踏み込んで打つ、の2点に気をつけているが、まだ思うようにならない。リターンが浮いてしまうくせも直ってない。
8時半で終わり。帰りは荒川の土手に沿って自転車を走らせる。左に浮間公園の緑、右に赤羽ゴルフクラブのグリーン。気持ちいい。土手に目をこらすと、あった、モジズリ。点々と。別名、ねじばな。ピンクの小さい花が茎を螺旋状に巻いて咲く、可憐な花。今年もよくいらっしゃいました。
帰って、サンドイッチでも作ろうか、ゆで卵を刻んで入れたタルタルソースとレタス、胡瓜はあったかな、エリンギも炒めて・・・なんて考えながらドアを開けたら、起きていて、パンでいいかしら、だって。いい。作ってくれるのなら何でもいい。
シャワーを浴びて、チーズトーストを食べたら眠くなったけど、どうもまだ汗をかき足りなくて、電話したら練習があるというので、今度はバドミントンに。約4ヶ月ぶりのバドは、当たらない。いい音がしない。半年前にはかるく勝っていた中学生のペアに軽く負けてしまった。思い切り汗をかいて、満足。
1時過ぎに帰って、詩集「ア」の発送の準備。40部ぐらい。
以前詩集をもらったまま、まだ返事を書いてない方の詩集を読みながらなので、なかなか進まない。去年まで学生をやっていたときに忙しくて読めなかったつけが残っているのだ。
こんな風に休みは過ぎていく。

こんなこと書いて、他人は読んでくれるのだろうか。読んで何か得るものがあるのだろうか。でも、書いてる方には楽しさもある。書きたいことも、適当にある。ま、いいか。

2004/6/14(MON)
どなたか鮒が釣れるところを知りませんか。

電車に乗って川や用水路が見えると、つい目が魚をさがしてしまう。ほんの一瞬、見つかるわけもないのに。
山形県酒田市、最上川が日本海にそそがんとする海べりに広がる街、この街で育った。父が釣り好きだったから、連れられて行っていつの間にか釣りを覚えた。キス、セイゴ、鰈、はぜ、黒鯛、アイナメ、アジにサバ。岸壁から糸をたらし、夏の明け方、砂浜から遠投した。すべて日本海の贈り物だった。
だから、中上さんたち、詩人仲間がフナ釣りをやっていて、誘われたときはうれしかったけど、フナか、おもしろいのかなあ、と少々懐疑的だった。
ところがですよ、これがおもしろい。アジなんてバカな魚は(本当におつむが弱いのかは知らない)アタリがみんなおんなじでただ直線的に引くばっかりだけど、フナは違うんですね。
引く、横に走る、上に持ち上げる、かすかにかすかに浮きを揺らす・・・アタリにバリエーションがあって、一筋縄ではいかない奥深さ、「釣りはフナに始まり、フナに終わる」と言われる所以であります。
このフナを、おととしまでは一束上げていた。一束とは100匹です。ま、ほぼ入れ食い状態。フナは引きがいいのでやりとりをけっこう楽しめる。そんな川があった。そんないい川がおととしまでは、あった。
いまは、ダメ。釣れない。今年の5月中ごろ、行ったときはフナはゼロ、ヤマベ1匹で、かろうじてボウズを免れた。
上流でやった工事のせいだとか言われているが、はっきりわからない。水流も早すぎて、あれじゃフナは餌をついばめない。

かくして、話ははじめに戻って、

だれかフナの釣れるところを知りませんか。

2004/6/13(SUN)
少し前のことだけど。
5月29日、土曜日。この日、朗読会に参加した。というのかゲストとして(と主催者は言ってた)呼ばれたというか・・・
小田急線の東海大学前という駅から歩いて7分のところに「アリキアの街」がある。アリキアの街っていうのは、ま、店なんだけど、なんと言うか、お茶あり、ラーメンあり、酒あり、そして本棚に本がズラリ、アクセサリーや民芸品や人形やなんやかんやが並べてある不思議な店。いつまでいてもいいし、不思議に落ち着くんだ。そこを拠点にして活動している「どってこ座」という紙芝居の集団があって、その代表の小坂裕子さんに誘われた、と、そういうわけ。小坂さんとは「詩学」の合評会でいっしょだった。同い年のお酒もいける素敵な女性。で、彼らは前から朗読会を不定期に行っており、けれど、他人の作品が多かったので、自分で詩を作っている人に自作詩を朗読してもらいたいという話しだった。朗読の自信はないけど、おもしろそうだからやることにした。以上が前置き。
朗読の相棒を近くに住む村山精二に頼んだ。二人で互いの詩を朗読しながら、その作品について意見を交わし、あるいは批評し、会場の人たちを取り込んでみんなで「詩」の空間をかもし出すことができればいいなと思った。詩を書く人も興味はあるけど書いたことはない人も、「詩」を目、耳、体の感覚で感じてくれればいいと思った。
ま、成功したのかな。今までになかったやり方だったらしい。
盛り上がりもけっこうあったようだし。私は「パンツ」に関する詩を3つ連続で読んで、パンツ詩人として「アリキア」のかの地に永劫に記憶されることとなった(かな)。
ところで、1部の私たちが終わって2部。会場の人が入れ代わり立ち代わりマイクの前に立ち何か話すんですね。それが、大部分自作詩なんだ。なんだ、みんな、詩人じゃないの!って。W・カーロス・Wの「あの、ちょっと」と訳されている短い詩を自分で翻訳した女子大生にもびっくりしたね。とっても好きな詩で、ずっと以前、紙に書き写して酒田のうちの壁に貼ってあったんだけど、長いこと忘れていた。とにかく、こりゃ、朗読しただけじゃもったいない、文字にして発表したらどう?って提案したのだが。
こんどは、できれば「詩会」をやりたい。


2004/6/11(FRI)
6日の句会に出席して感じたことだけど、その場で限られた時間で作品を作る、というのはことば感覚を磨くいい練習になる。詩を書く人間としては句会ならぬ「詩会」というべきものはやれないかと思う。問題になるのは長さで、これは10行まで、などの枠を決めればいいのではないか。あとは句会の流れを踏襲してなんとかやれるだろう。句会という練習の場は、ゲーム性もあり、開放的で、よく出来ている。点を入れたら、その理由を言わねばならないというところも批評眼をやしなうに役立ちそうだ。
どなたか、やってみたいと思う方、いらっしゃいませんか。

2004/6/9(WED)
おとといは晴れの第1回目だというのに、眠くなり、途中でやめてしまった。どんな終わり方をしたか覚えてないので、不安だったけど、ちゃんと最後に断っていた。パチパチ。

で、懲りずにおとといの続き。

世田谷文学館に好感を持った。世田谷にゆかりのある作家の、その文学的業績の紹介もさることながら、一人の生活者としての彼らがしのばれて、興味深かった。今は「池波正太郎の世界」展を開催している。文学館の姿勢なのか、人間くささ漂う、目線の低さを感じさせるスポットだった。
そのあと、森家の菩提寺である「禅林寺」へ。白石さんはうすいピンクのバラの束を手向け、私や大多数は何も持たないままただ合掌。と、すぐ斜め向かいに花に飾られたお墓があって、そこに太宰治が眠っているという。ミーハーな私は、すぐドレドレ、そして神妙(そう)に再度、合掌。太宰の墓には、撫子などのけなげな花が飾られている。桜桃忌は今月19日。この日この寺は太宰にあこがれる若い女性であふれるという。太宰ばかりがなぜもてる。
これで今日のコースは終わり。バスは一路新宿へ。もう夕方5時過ぎ。やれやれ、楽しかった、けど、疲れた。やっと解散だ、と思っていたら、4人いる俳人(一人は詩人兼)がこれから句会をやるから、来ないかと言う。前からちらほらそんな話もあったので、1秒の躊躇の後、加わることにする。
初めての句会で、初めて俳句を詠む。ともかく緊張の2時間でしたね。限られた時間で、その場で作る・・・詩作の参考にもなるであろう、非常に有意義なひと時だった。
このとき作った7つの俳句から点が入った3句。

  ・雨あがりバラにしずくの森茉莉忌
  ・遠い日の蕾が咲いて森茉莉忌
  ・ジャズ満ちてにわかに汗ばむグラスかな

出来はともかく、私にとっては記念すべき俳句デビュー。
これからも句会に行こうかな。

2004/6/7(MON)
日記というのは個人的なものだから、夜中に一人こっそり備忘録のようにつけていればいいはずなのだが、なぜかここに書いて、半分発表の場のようになってしまった。他の人のページを読んでも、自分のためなのか、読んでくれる誰かへのサービスなのか、よくわからない。
ま、いいか。

5月末に清水さんの開扇堂で詩集を作ったことが、こうなったきっかけ。それまでは私には遠い人だった。電話して会って、ユニテで飲んだ。楽しかった。正式に頼んだ。
詩集は「ア」というタイトル。ふざけてる、かな。CDぐらいの大きさで、32編の行わけ詩作品。表紙はターコイズブルーにしてもらった。定価500円。え、安い?他が高すぎるんだ。詩のミニマリズム、ライトヴァース、そのあたりを意識しているんだけど、まだまだ、だろうな。

ところで。
きのう6月6日は森茉莉忌。白川宗道という俳人の誘いで、梅雨の初日、そぼ降る雨の中、森茉莉をしのぶバスツアーに参加した。
コースはゆかりの地を4ヶ所回り、途中で故人と親しく接した白石かずこさんの話を聞くというものであった。
10時に千駄木の森鴎外記念図書館前に集合。森家に関する展示品を眺めたあと、森茉莉さんが1日中そこにいて、原稿を書いていた「邪宗門」という喫茶店に向かう。途中、バスの中で、釣り仲間で先輩詩人の中上哲夫さんや川端進さんといっしょに自作詩を朗読する。宿題だというので、私のはきのうの朝5時起きして、テニスに行くまでの間の40分ぐらいで書き上げたもの。限られた時間の緊張感ただよう中で必死にともかく1編の作品を仕上げる、といういい経験をした。「邪宗門」には森茉莉さんの色紙があり、「夢を見るのがわたしの人生」とフランス語と日本語で書いてある。
次に、世田谷文学館へ。ここ、いいです、散歩がてらのオススメです。多くの作家の人となりに触れられるような展示になっている。(以下、あしたかあさってに続く)



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