2010/4 [HOME]

++ 日記 ++

2010/4/30(FRI)
今日の夜からサパへ行く。中国との国境近くの山岳地帯に住む少数民族の村を訪れる。マーケットとトレッキングを楽しみに行く。車中2泊の3泊2日という不思議な旅。3日に帰ってくる。

2010/4/27(TUE)
23日から2泊3日でクックフォン国立自然公園に行った。
標高は高くないけど、たっぷり7時間のトレッキングを楽しんだ。小さいけれどカメレオンがいた。僕には見つけられなかったが、ガイドの目はすごい。隠れている鳥の雛まで見つけてしまう。蝶が舞い、鳥が歌う。空が青く、雲は白い。風はなんて気持ちのいいものなんだ!
ムオン族という少数民族のうちにホームステイした。際限のないウオッカの乾杯!あれは閉口した。次の朝、出かける前にまた2杯乾杯!ああ!けれど、気持ちのいいファミリーだった。いい思い出がまた一つ増えた。

2010/4/20(TUE)
★今日は60回目の誕生日。「還暦」というわけです。自分がこんな年になったなんて信じられない、というのが正直な気持ち。「事実を直視しなさい」という声が聞こえてきそうです。還暦は、赤ちゃんの年に還って、第二の人生を歩む年だそうなので、これからは皆さんが年上の先輩になるわけです。よろしく。たくさんのメールをいただいて、とてもうれしいです。これからも気持ちだけは若く、あと10年ぐらいは日本語教師でがんばろうと思います。後で一人ひとりに方にお礼を書きますが、とりあえず、この場を借りてみなさまにお礼を申し上げます。ありがとうございました。★
以上、facebookに書きました。
きのうから、ケーキ、プレゼント、寄せ書きでうれしい時間が続いています。メールは100近く、今日は夜、他の学校の先生たちが祝ってくれます。ありがたい!!

2010/4/17(SAT)
考えてみたら、ハノイ工科大学での1年半、
いい仕事期間だった。
学習者のレベル、半年後の日本留学を念頭に、
コースをデザインし、相談する人もいないのだが、
修正を唱える人もなく、役に立つはずだと思うことを
つめ込んでしまったけど、実施することができた。
前の職場では、やり方がギチギチに決まっていて、
粗相をしないようにその上を歩かなければならなかった。
ここでも、不満は山ほどあるけれど、学習内容について、
干渉されることがないのはとてもうれしいこと、やる気にさせられることだと、いまさらながら強く感じる。
恥ずかしい話ですが、久しぶりに勉強しています。
音声の日本語教育をきちんとカリキュラムに組み込んでいかなければいけないと思う。
これもいまさらながら、ですが。


2010/4/7(WED)
昼休み。近くに同僚と食べに行く。
今日は「コムザン」という炒め飯。といって、チャーハンとはいえない。ターメリックで黄色く色づけされたご飯を外に置かれたガスコンロで焼く屋台料理。この店はフォーもうまい。麺がほどよい柔らかさで、スープをついつい飲んでしまう。「アジノモト」を使っているんだけどね。
最近行くのはおかゆやさん。鶏肉のおかゆはだしが取れていてうまい。焼いて切って出してくれるアヒルもいい。この前は小鉢に入った赤いゼリーのようなものを食べた。勧められて注文したらこれが鶏の血が固まったもの。みな笑いながら見ているので、思い切って食べたら、「オー」って。「大使閣下の料理人」というベトナムを舞台にした漫画があるが、その1巻のはじめ、市場の場面にこれが出てくるのを、きのう発見した、

2010/4/5(MON)
きのう、Sさん宅で「ハノイ・詩を読む会」。
15人、ロシア語、ベトナム語、中国語、フランス語、日本語が入り乱れる盛会となった。
私は「みどれ」他4編の自作詩、中也の「月夜の浜辺」を朗読した。それと、ホーチミン氏は詩人でもあったという。日本語で読んでみたいと思うが、ないだろうなあ。
楽しい夜のひとときであった。
今度は、句会、誕生かな。

2010/4/1(THU)
毎年よ 彼岸の入りに 寒いのは


明治26(1893)年3月に、正岡子規が母に「彼岸というのに、寒いね」とつぶやくと、母は「毎年よ、彼岸の入りに寒いのは」と答えたそうです。
そのとき、子規は、母の答えが五七五になっていることを気づき、子規は、そのまま一句にしたとのことです。
この句には、「母の詞自ずから句となりて」という前書きがついています。
また、この句は、口語句のはしりと言われています。


以上、この句に関して、他の人のブログから借用しました。
日本語の調子が5音、7音まとまりやすいことがよく分かります。句を作るという作為がないところがやはりいいですね。



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日記帳(3) v1.02.00 エース (素材協力:牛飼いとアイコンの部屋)