2015/11 [HOME]

++ 日記 ++

2015/11/29(SUN)
095
少しばかり陽が射してきた


この情景をうたうのにこれで足りるのだろうか
11月の図書館の窓のそと
色があるか
少しの青とグレー
陽の色とは
音はあるか
イスを引きずる音
ほかはない
こころは
こころはある
おれはあると感じる
「陽が射す」ということばが想起せしむるもの
ことばによるこころの描写
風景というより情景


少しばかり陽が射してきた

096
≪不幸について≫

だれも不幸になりたくない
政治家だって言う
・・・・・・平和のため
そのためにどこかで争いが起き
血が流れ こころがつぶされ 町がなくなる
言い方が抽象的だというのかい
具体的な状況など思い浮かべたくない
不幸でびしょ濡れの
テレビニュースなど見たくない
まわりの人のほほえむ顔が見たい
それだけなのに
あ、暗い帰り道には不幸がころがっているから
ふんづけないよう きをつけて

2015/11/27(FRI)
094
屋久島の磯で拾い集めた貝殻を
ガラスのボウルに入れてふちまで水を満たし
机の上に置いた
水にひたりながら
タカラガイはぬれたうす紫をとどめ
サンゴのかけらの白も深くなり
イモガイはうす茶色を守るが
もはや波紋を起こすことはない
これでゆっくり眠りにつけるだろう
小さな結界
内側を鈴の音が低く飛ぶ
空耳だろうか

089‐2
今日はだれかの死んだ日
10月25日もそう記憶されるのだろうか
今日はだれかの生まれた日
10月25日はどっちで記憶されるのだろう
なかったものがきょうあって
きのうあったものがきょうない

一瞬前のことは白紙
一瞬後のことは闇
書いている
いま
まるでへたな探しもの


そう、だれかが死に、だれかが生まれる
生まれてから死ぬまで

もはやぼくの想像力は追いつかない
何にって
ヌチャヌチャと生まれる雑多なことば
ぬれた路面を

089‐3
今日はだれかの死んだ日
10月25日もそう記憶されるのだろうか
今日はだれかの生まれた日
10月25日はどっちで記憶されるのだろう
なかったものがきょうあって
きのうあったものがきょうない

一瞬前のことは白紙
一瞬後のことは闇
書いている
いま

2015/11/26(THU)
093
<夕陽を見に>
今日は夕日がきれいそうだと
サナエさんが西の空を見ながら言うので
コーヒーの合間に夕日の話になった


そういえば澄んだ秋の日、
夕方近くになって白突堤あたりに
「夕日を見に行く」なんて昔、やったよな
そんな話から
みのり橋ってあるでしょう
ええと、ああ、あの市役所をちょっと行ったとこの橋?
うん、右に農協のビル、左に釣具屋さんがあるところ
そのみのり橋からの夕日がきれいだって
へえ、ちょっとわかんないな、そうかなあ
うん、昔のお客さんで、何十年も新潟の向こうから
青森の先端までトラックで走ってるんだそうだけど、
みのり橋からの夕日が一番見事だって
ふうん
あのね、橋の下の新井田川には漁船がいくつかとまっていて
向こうに一万トンの岸壁が見えて
橋の上から西の海に赤く染まった夕日が見えるんだって
はあ、そうか
「夕日を見る」って、沈む太陽だけを見るんじゃないよね
そう、まわりの風物っていうか
右側の旅館の看板、イカ釣り漁船、キチキチ光る水面、うっすらの雲などがそれぞれ
場をわきまえてあるようにあるんだって
へえ、けっこう説得力あるなあ


それからおれは読みかけの漫画に目を落とし
彼女はCDを変えに行った

2015/11/25(WED)
091‐2
朝起きて
カーテンを開け
朝をめでる それから
顔を洗い
パンを焼く…
こんなおおざっぱな行為のどこかに
詩が隠れているのだろうか
隠れているとして
それが探しだせるだろうか


12才のことばで
ねこの忍び足で
石ころの寡黙さで
女性の気まぐれさで
火星人のアンテナで
レントゲンの正確さで
今日も明日も
枯草の上をタネを探して寝転がる

092
あした朝10時、妻が電車に乗る
娘の出産の手伝いに、二週間
おれは飲んで、10時頃帰り、ふろに入り、その後
パソコンで、”チャーリーパーカーを中心のジャズの歴史”を
見ていた。セロニアスモンクのところで、ふいに
明日妻が二週間いなくなることに
気づいた。いま、11時過ぎ、このまま知らんぷりでいいのか
せめてワインいっぱい、カチンと合わせようか…
ジャズの歴史を一時停止にして
階段を上り、静かにノブを回した
真っ暗だった
ぼくらの部屋は何も見えなかった
真っ暗な中にぼくらはいた?
あしたになればそれがわかる
たかが二週間、といっても、それより
そんなことより、一瞬の、カチン

2015/11/18(WED)
090
10時まで7分
朝早かったので、椅子に座り目をつぶる
これから何しよう いろいろある
しなけりゃいけないこと
目を開くと暗いパソコンの画面にぼんやり
おれの顔が映っている
思うおれの顔とは違うおれの顔
これが他人に見えるおれの顔か
鏡の前では見られることを意識した顔だ
思いがけず見える これがおれの顔?
そうという声と そうじゃないという声が
地下水の流れのように響く
ふいにあきらめないというつぶやきが生まれる
何を?
外はうっすら陽が射してきた
10時を過ぎてしまった
とにかく 外へ


091
朝起きて
カーテンを開け
朝をめでる それから
顔を洗い
パンを焼く…
こんなおおざっぱな行為のどこかに
詩が隠れているのだろうか
隠れているとして
それが探しだせるだろうか


12才のことばで
ねこの忍び足で
石ころの寡黙さで
女性の気まぐれさで
火星人のアンテナで
レントゲンの正確さで
今日も明日も
枯草の上を寝転がるだろう

2015/11/14(SAT)
11日「詩とあそぼ」の1回目が終わったら、ホッとしたからか、ここ3年ぐらいご無沙汰だった風邪をひいてしまった。
講座のほうは、楽しかった。自分が楽しんでどうするんだとも思うが、その楽しさの雰囲気は、けっこう共通していたと思いたい。

2015/11/11(WED)
今日から、詩の講座「詩とあそぼ」が始まる。それを契機にここ2,3日は、受講者の参考になるような「短い、わかりやすい、新鮮な視点を与えてくれる」詩を探していた。講師という立場ではあるが、一緒に勉強しようと思っているので、本棚で眠っていた詩集たちを読み返すにはいい機会だと感じている。

2015/11/3(TUE)
11月だ。11月、冷たい雨の月。それが末ごろには、みぞれに変わる。ヒャーだね。一瞬だが、温かい南方への移住を考えてしまう。
シテ8号の原稿、そのあとがき、あなたと歌としおさいとの原稿ふたつ、詩の散歩道第1回の原稿、すべて終わった。ことに初めての詩の散歩道のそれは、緊張に慎重に書いたが、書きながらなんでこんなに下手なんだろ、思うことを書き表せないんだろうと嘆きつつ書いた。ので、白井さんから明るい返事をもらったときは、心底ホッとした。ちょうど村上春樹の「雑文集」を並行して読んでいて、わかりやすい言葉でそのくせ説得力がある文章に引き込まれていたので、なおさら自分のごつごつした、どこか不自然な日本語に嫌気をさしていたのです。



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