2009/11 [HOME]

++ 日記 ++

2009/11/24(TUE)
今年の夏、東京で「ESPの会」(北見俊一氏主宰)という詩の合評会に持っていった作品。ケチョンケチョンけなされるだろうことを予想(期待?)したのだったが、あにはからんや、ウケタ。その落差に戸惑った。


物語のあくる日


きみのやや高い胸に
ぼくのやや厚い胸を重ねる


たがいの ゞゞゞゞゞゞゞゞが
水切りのように跳ね
波紋の広がりが
重なってはすれちがい
見つめあったり目をそらしたり


完全に重なるその日を
待って待って待ち続けるために
ぼくは
ゴム長を溶かす酸性雨の中を
山へ柴刈りに
きみは防毒マスクにゴム手袋で
川へ洗濯に
そしてぼく達のものがたりは


物語はあくる日に
続く


続く?

2009/11/22(SUN)
教師の日、後日談。
週末日本語を教えている女性から、
今度はマフラーをいただいた。
「教師冥利」で、胸が暖かくなる。


藤沢周平の「回天の門」を読み終えた。
故郷、山形県酒田市に近い清川が生んだ
幕末の志士、清河八郎の生涯を書いたもの。
熱く、重く心に残った。
志を貫いて生きた男と関わりあった人々のそれぞれの生と死。
皆等しく渾身の思いで生き、皆等しく思いの半ばで手折れる。
そこにわけへだてはない。
それに一つの死は幾多のつながりの死なのだ。
ただ、妻、お蓮の死はさびしかった。
時代、といってしまえばそれだけだが、ただあわれだった。


マッキーのコンサートを聴きに行った。
元気をもらい、風邪が治った。

2009/11/20(FRI)
今日11月20日はベトナムでは教師の日。
学校の周りの歩道にはにわか花屋が並び、クラスを終えて職員室に帰ってくる教師はみな、花束を抱えてくる。
私も教師と認められたらしく、花束、ならぬ、冬の必需品をいただいた。
1枚はベスト。就業時間外の1級対策クラスから。
もう1枚はハイネックのセーター。担当のインテンシブクラスから。
うれしかった。しみじみ。
今日は夜、「うなぎのおかゆ」と屋台で貝やあげ春巻きを肴にベトナム焼酎を何杯か空けた。
アリガトウ!!


「ハノイ挽歌」を読んでから、だろうか。
見方が変わってきたのか、
ハノイがだんだん受け入れられるようになってきた。

2009/11/12(THU)
はるか昔、書いた詩。
直す余地があるか。
モノになるか。



  
あと五分


ふすまの向こうでは
トースターが切れ
スプーンでかきまぜる音 
新聞のカサカサ
おさえた笑い声
ふとんから手をつき出し
ふすまを少し開ければ
涼しい風と新しい時間が飛び込むのだが
まぶたも首のかたむきもこのまま
一ミリたりとも動かしたくない
石ころでいい
ほっといてほしい
夕べのうわついた会話が
上着の胸にさしたバラのように
色がおち
くたびれてある
この
この水なし水槽の底で
右の人差し指を伸ばし
大空中に
今日の日付けを書け
毎日が宝くじ
左の指を添えて印を結ぶ
やるぞ!

そのまえに
ううううううんと二メートルに伸びるなり
思いきり力抜いてちちんで

そのまま
エネルギーをためて

あと五分 そのまま

2009/11/9(MON)
月曜日の今日は、日本人に来ていただき、「ゲストと話そう」//今日は11人の方が来てくださった。10人が主婦の方。
男性は一人で、3回目にして始めて。大学院生。今日は双方に写真を持ってきていただき、その写真を見ながら話し合う、話を広げるということを考えた。話は盛り上がり、学生の目は輝き、もう一度写真をテーマにやりたいという感想が多くあった。//どんなテーマがいいのか。乗っていける話題はなにか。頭をひねるがなかなかいいアイディアが出てこない。//ともあれ、実際使用の機会を積むことが音の日本語に慣れる近道だと思い、始めたこの活動。協力していただける日本人あってこそである。深謝。

2009/11/2(MON)
この日付は2日だが、これは日本時間。
ここ、ハノイでは、1日、日曜日の10時過ぎである。
時差、2時間。


きのうの朝、いつものとおりに7時半ごろ出て、10分ほどで大学に着いた。駐車場に止めて、エンジンを切ろうとしたら、キーがない!なんだ!?どうしたんだ??走っている間に落ちたのか!そうとしか考えられない。で、静かにさせるにはどうしたらいい?ええと・・・△◎Я@×・・・考えられない・・・ふと思いついて、家と学校のキーホルダーを取り出し、大きいほうから差し込んでみた。すると、最後の一番小さいやつがスルッと入り、左にひねったら、なんとエンジンが止まった・・・よかった・・・けど、帰りはどうする?この鍵でかかるかな、今のはもしかしてマグレだったのかも、帰りの冷えたエンジンがかかるかどうか、などと考え、ともかく恐る恐る右に回し、1回、2回、3回、かかった!じゃ、今のうちに部屋に戻って、スペアのキーをとって来よう。少し落ち着きを取り戻し、あたふたと来た道を戻ったのでした。
その夜、道端の鍵屋に1分で1万ドン(60円)のスペアキーを作ってもらい、やっと一安心。


今日はVJCCでの「日本語祭り」
スピーチコンテストにパフォーマンス。
いや、楽しかった。
パフォーマンスのダンスはどれも「yosakoiそーらん」で、元気に盛り上げ、「まさ姫の伝説」の大まじめな演技に笑い転げ、ソロの歌に聞きほれた。いずれも、ベトナムの若者の純情に感心させられた。
スピーチコンテストは、10人のうちの黒1点、わが教え子(能力試験1級クラスだけだけど、教え子には違いない)のひげのチュンが、見事、優勝!
(それにしても、アレで、若干21歳とは!)
ダントツの印象。内容の深さ、表現の正確さ、発音の自然さ、どれも申し分なし。
ここ4,5年で、最高の出来なのでは、とはある関係者の弁。
私の「指導した先生」ということで、少し晴れがましかった。
実体は、原稿段階からほぼ完成品で、若干手を加え、若干発音等の手直しをしたに過ぎない。
まさに、実力で勝ち取った勝利である。
おめでとう。
去年に続き、2回目の日本行き、しかも今回は1ヶ月にわたるホームステイ。
すごいやつだよ、君は。



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