2015/10 [HOME]

++ 日記 ++

2015/10/28(WED)
088-3
どうしたのだろう
今日書く字はかしこまっている
いつもは線香花火のように
あっちパッこっちパッと自由にはじけとぶのに
漢字の横線が右肩上がりでなく
下がり気味に肩を落としている

きょう
儀式はなかった かしこまらなけれならないことは
ポロシャツにジーンズで間に合う気楽さだった

だからなぜだろう あの右肩下がりは
頭の動きに文字が追い付かないからだろうか
両目の地平線がかすかに歪んでいるのだろうか
おれの知らない部分が目を覚ましたのか

いま、
どうにもわからない以上
明日になればと
願掛けするしかない

明日になれば
そう思えるにかすかに安堵する

2015/10/26(MON)
088-2
どうしたのだろう
今日書く字はかしこまっている
いつもは線香花火のように
あっちパッこっちパッと自由にはじけとぶのに
漢字の横線が右肩上がりでなく
下がり気味に肩を落としている

きょう
儀式はなかった かしこまなけれならないことは
ポロシャツにジーンズで間に合う気楽さだった
だからなぜだろう あの右肩下がりは


ひょっとしたら季節の変わり目のあいさつ

眠い。詩なんてこんなミッドナイトに書けるもんか!


089
今日はだれかの死んだ日
10月25日もそう記憶されるのだろうか
今日はだれかの生まれた日
もはやぼくの想像力は追いつかない
何にって
ヌチャヌチャと生まれることばの雑多さ
ぬれた路面を

2015/10/25(SUN)
088
どうしたのだろう
今日書く字はかしこまっている
いつもは線香花火のように
あっちパッこっちパッとはじけ流れるのに
横線が右肩上がりでなく
下がり気味に肩を落としている


そんな事件はなかった かしこまるような
ひょっとしたら季節の変わり目のあいさつ
答えは風の中


089
今日はだれかの死んだ日
10月25日もそう記憶されるのだろうか
今日はだれかの生まれた日
もはやぼくの想像力は追いつかない
何にって
ヌチャヌチャと生まれることばの雑多さ
ぬれた路面を
















たとえ頭の歩みに指の運びが追い付かないとしても
星座が巡って柄杓からこぼれ落ちそうなように

2015/10/16(FRI)
087‐2
なにもわいてこないときには
宇宙のエネルギーを借りるにかぎる
うううとうなりながら見えない帽子をかぶると
マリンスノーのように言葉がふってくる

そんな




仲のいい筋肉を奉納する


なにもわいてこないときには
四足で過ごした時代に見た動植物
位置で

2015/10/13(TUE)
087
なにもわいてこないときには
宇宙のエネルギーを借りる
うううとうなりながら仲のいい筋肉を奉納する

kod
なにもわいてこないときには
四足で過ごした時代に見た動植物
位置で
(中途半端だけど、koredeoshimai)

2015/10/11(SUN)
055−最終稿
5月の
いい天気の10時半には
読みかけの文庫本を指にはさみ
レースカーテン越しに差し込む光で
殺人犯を追いかける


5月の光は右のページを斜めに照らし
左のページに目が移ると
影から文字が浮き立つように
右手の指に持ち替える


窓の外は一面光の眩しさ
この部屋は光とその影が
貝やお面や掛け時計などの実在を見せている


5月の朝10時半を過ぎて
犯人は白日の眩しさを嫌い
幾重にも重なったページの闇に潜んでいるのか
それとも
輪郭の似たおれの影の内に隠れて
次の犠牲者を夢見ているか

084‐1
ああ と叫びたい朝がある
ああ と息を吐きたい夜もある
ああ なんてはずかしい
おれは ああ なんて書かないぞと思ってきたけど
ああ というしかないときもあるかもしれない


ヒトがまだ毛皮のような皮膚を持っていたころ
太陽がゆっくり欠けていくとき ああ
あれからずっと獲物がなくて腹ペコなとき ああ
同じような小さなものが女の足の間から出てきたとき ああ
川の水が暴れて何人かが動かなくなったとき ああ
ああ が口からこぼれたのではないだろうか


ことばになる前の
感じたことを伝えるものとして


084‐2
ああ と叫びたい朝がある
ああ と息を吐きたい夜もある
ああ なんてはずかしい
おれは ああ なんて書かないぞと思ってきたけど
ああ というしかないときもあるかもしれない


ヒトがまだ毛皮のような皮膚を持っていたころ
太陽がゆっくり欠けていくとき ああ
あれからずっと獲物がなくて腹ペコなとき ああ
同じような小さなものが女の足の間から出てきたとき ああ
川の水が暴れて何人かが動かなくなったとき ああ
ああ が口からこぼれたのではないだろうか


ことばになる前の
おさえられない
つきあげる何かを伝えるための

2015/10/10(SAT)
084
ああと言いたい夜がある
ああなんてはずかしい
おれはああなんて書かないぞと思ってきたけど
ああというしかないときもあるのだろう




085
草餅にかぶりつく
夜の10時まであと10分
湯船につかって夢を見ていたときに
外から家内、「あの草餅、賞味期限、今日までだったよ」
きのう、母の好物だからと買ってきた草餅みっつ
やんわり迂回した命令に素直に従うべく
「ああ」が風呂場の天井にこだまする
風呂からあがって、部屋に引っ込んで
まん丸い大きな草餅に、かぶりつく
鏡がなくてよかった
二口で甘だるくなった口の中に
ほろ苦いお茶を流し込むと
日にちも時間も年も体重も血圧も腹回りも
まとわりついた数字という数字を忘れて
しばし気を緩めてお茶を濁すひととき

086
今日一日のあたらしい時間の中で
読みかけの本のあたらしい5ページを読んだ
あたらしい英語のことばを6つノートに控えた
あたらしい人には出会わなかった
でも洋ナシに似たあたらしいくだものを食べた
あたらしい水、あたらしい牛乳を飲んだ
きょうの部屋の空気はあたらしいかどうかわからない
妻の「おはよう」はあたらしいともあたらしくないとも言える


あたらしいって何だろう
あたらしいということばの意味が薄れていく

2015/10/8(THU)
草餅にかぶりつく
夜10時まであと10分
湯船につかって夢を見ていたときに
外から家内、「あの草餅、賞味期限、今日までだったよ」
きのう、母の好物だからと買ってきた草餅みっつ
やんわり迂回した命令に素直に従うべく
「ああ」が風呂場の天井にこだまする
風呂からあがって、部屋に引っ込んで
まん丸い大きな草餅に、かぶりつく
鏡がなくてよかった
二口で甘だるくなった口の中に
ほろ苦いお茶を流し込むと
日にちも時間も年も体重も血圧も腹回りも
まとわりついた数字という数字をあっち向けて
安心してお茶を濁すひととき


2015/10/7(WED)
シテの会、10月例会。
高瀬靖著「北方浪漫の人々」についての話。
酒田で育ちながら、酒田の詩人たちの歴史を知らないことを知った。他のみんなはよく知ってる。それも驚き。
083
今、23時16分
壁にかかった時計
机の上のデジタルは
23時15分
携帯の数字は23時、あ、16分になった


それぞれがそれぞれのことばを持っている
それぞれがそれぞれの花火を手にしている






2015/10/6(TUE)
はや10月。郵便局では年賀状の案内をくれるし、もう・・・
082
感慨が、
夏にはなかった感慨なんてたいそうなもんが、
じわーっと漂ってくる、
おーい、感慨よおー、
どっから来たんだ、
どんな便りを持ってきたんだ、
そんなまゆを顰めないで、
この清冽な空気にひたって、
ま、一杯やろうぜ。



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