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骸骨人厭々日録


2004年3月

2004/3/26(fri)
パスカルの『パンセ』

学生の頃、愛読していたが、この20年くらい読んでいない。
この間、MP会で森岡正博氏のフィロソファーリーディングを聴いていて、さまざまなことを想った。たとえば、

「無限の空間の永遠の沈黙がわたしを恐怖させる」

この脳に強く刻印される言葉は、だれでも知っているだろう。いまのわたしは、こう言い換えている。

「無限の存在の永遠の沈黙がわたしを恐怖させる」と。





2004/3/25(thu)
引用。。。

野矢茂樹訳ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』(岩波文庫)から。

 六・四四「神秘とは、世界がいかにあるかではなく、世界があるというそのことである」

美しい言葉だ。あらゆる神秘主義が排され、ほんとうの神秘が示される。
この神秘は、おおくの子供たちが人知れず感得し、自分の親に訊ねて困らしているのではないだろうか。拙く幼い言葉で。。。 小さな哲学者たち。。。
わたしも「小さな哲学者たち」のひとりだった。答えがないのが応えなのか、と思っていた。存在の恐怖に怯えを覚えた。
この恐怖について、おおくの大人は忘れているらしいことに、思いをめぐらせる。。。なぜだろう。。。

訂正。。。

「存在の恐怖に怯えを覚えた」
      ↓
存在に怯えを覚えた。


2004/3/21(sun)
「存在の起源」なるものも、無い可能性もある。いや、可能性は大きいだろう。
むろん、宇宙の存在は存在の一部分であろう。
存在は、ただ在るだけであろう。
まさに、存在理由(があるとしても)には言葉は届かない。言葉の限界が世界の果ての岸辺である。
人間は、その岸辺で果てしない存在の海をながめるしかない。そこまでである。

2004/3/17(wed)
ひとつの結論

存在の起源について、いかなるものも、わかることができない。
この事実は驚愕すべきことだ。

2004/3/11(thu)
影のダンス       足立和夫

部屋のなかから
そとの舗道に出る
まぶしい光の真ん中で
影が這ってくる
それは闇のかけらだ
影は死の模様なのか
青梅街道を走る車が
すぐ脇をたくさん過ぎ去っていく
死に限られた生命にのみ
時間の流れがある
死のないものに
時はない
生まれたときに
時間は流れ始めるのだ
舗道のうえで
静かな動きで
影は死のダンスをしている
モノたちに
終わりがあるなら
それまでは時間が動いている
ぼくのまえを横切る
子供たちの自転車が三台
やはり影が追って
ダンスをしている
世界が美しいのは
死に向かっているからだ
そう 死に至れば
時間というものは
消滅する
ぼくは奇妙な確信に
たどり着いた
その一瞬 すべては美しく輝くことを
すべてはなくなることを


初出『Lyric Jungle』4号 2002年10月30日



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