Nov 10, 2006

詩こころの歩行 -高田昭子『空白期』-

 あるこころの道程をことばにした、そんな印象のある詩集です。
 ここに収められている詩は、春夏秋冬の順に情景を進めていくのでよけいに、進
行形のこころの歩む様をみるように感じるのかもしれません。

 冒頭の「春-叙情」から「みみ-こころ-からだ」までは、春の訪れになぞらえて、
こころの開放が歌われていくように受けとれます。

  遠いものばかり待っているので
  感受性の先端が
  いつもつめたくて
  つまさきだっている
          (「春-叙情」第一連)

に表わされる、外界との接触に神経を研ぎ澄ませているような様子から、

  いつでも目覚め方が下手なたまごは
  脇腹の温みで孵化して
  小鳥になったり 亀になったり
  とりあえずなにかのからだになって
  唄ったり 歩いたり 飛んだり
  ルルルルル ルルルルル ルルル
          (「みみ-こころ-からだ」最終連)

といった開放的な状態へと、ひらいていくようです。

 そして次の詩「水無月」から、外の世界と接して生じる心象がさまざまに表れて
いく、というように映りました。
 「水無月」のなかの、この連が好きです。

  夜更けの駅に降り立つと
  そこは深く蒼い河
  塒はその向こう側
  わたくしは鳥ではありません。
          (「水無月」より)

 河にひたっている夜更けの駅のホームに降りて、飛べるわけではない自分が、帰
る家を河の向こうに見ている、そんな気持ちで真夜中の駅に降りたことがあるなと、
夜更けの下りの駅のホームのあの静かさは、河になってしまったからだったのかと、
近しい情景として読みました。

 この「水無月」に出てくることばに「不在」というものがあります。それまでと、
詩の空気が変わるように感じるのは、こうした硬質なことばが要所を占めながら、
描かれる情景に静かさやクールさが挿し入れられるからかもしれません。
 開放という流れとして、この詩集を読み進めていくことは、ここで止められます。

  「いのちは不浄なもの。」
  雫はフロアーにあっけなく砕けてゆきます。

  そこに少しづつ育つ「不在」
  あらゆるものをうつくしくするために
  時間のそとにゆくために
  「わたくしも不在です。」と伝えて。
             (「水無月」より)

 「不在」とは待ち受ける死のことなのでしょうか。その後の詩でも、死のイメー
ジがくり返し表れます。死を、待ち受けるものとして見すえ、受容しようとするこ
ころの動きの表れなのでしょうか。

  死の理由を縦糸に
  生の理由を横糸に
  きつくもなく
  ゆるやかでもなく
  一日分の布を織る。

  やがてくる死との婚姻の朝まで。
          (「紡ぐ」より)

 目線が、死という先のことだけにあるのではなく、むしろ「一日分の布を織る」
という現在に重心を感じます。待つもの、あるもの、そしていま為すこと、そのど
れもに目を向け、過去から未来へと進行する時間の流れに寄り添おうとするかのよ
うです。(少し話が逸れますが、この詩集では時間軸が過去から未来へと伸びるも
のとしてつよく意識されてあるようで、それが、せつなく感じられもします)。

 開放的な状態へひらかれながら、「不在」、「死」に視線を配るこの詩集は、ど
こかへ向かおうとするものなのかと、道のりが示されている行を探すと、こうした
行に出会います。
 詩集の中ほどにある「駱駝に乗って」という詩の最終連はこうです。

  遠い まだまだ遠い
  駱駝に乗って
  はじまりの道をさがしにゆく
           (「駱駝に乗って」最終連)

 また、その次の詩にこんな詩行があります。

  最後のページに こっそりと
  「おはよう、旅にでます。」
  と書きおいて
  手ぶらで海辺にいきます。
  こぼれることのない巨きな水の入れ物が
  あたらしいあたしのノートだとはとても思えないけれど
                 (「七月になったら」より)

 「はじまりの道をさがしにゆく」「あたらしいあたし」という、出発、再生を求
め、さがす姿がここにあります。
 あくまで慎重に、けれどすこしずつ、ひらいていくものはひらかれ、待つときは
待ち、めざすものへと進んでいく様が道程のように表れていると、そう読んでいて
感じさせられます。

 モチーフとして表れたもので印象的だったのは「鳥」「水」「耳」です。
 「鳥」は、自由への憧れであるより、繊細さを抱えつつそれでも飛ぼうとするも
のとしてのよわさとつよさのないまぜにみえました。
 「水」は、沈んだじぶんの気分、その気分からのゆるやかな脱却の猶予期間、じ
ぶんを守り包むもの、なにかの傷から回復していく兆しなど、箇所によってこのこ
とばから感じる肌合いは異なるものの、こころがローテンションであること、その
テンションの低さを大切にしていることを一貫して表わしているように受けとれま
した。
 そして「耳」は、この詩人の素敵な特質のようにみえて、好きなものです。詩の
タイトルにも使われていることばですが、ここでは「耳」ということばが直接には
出てこない箇所で、耳をすますこと、聞くことに細やかな詩人らしいこの箇所を引
用しておきたく思います。

  「待つこと」とあなたはいった。
  わずかな拒否でもこわれてゆくものがあるから
  しずかに「はい」と応える。
  冬の空に吸い込まれていった対話。
                 (「残像」より)
Posted at 02:00 in nikki | WriteBacks (4) | Edit
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