Jan 14, 2010
Mar 12, 2007
まるで書き込んでないのに
検索をかけると、このページがトップでヒットするようになった。 恐ろしいことです。なにもしてないから。 「ホームページ見ましたよ」と声をかけられても、何のことかわからなかったり、「あれはダマシですからっ!」と即座に答えてしまったりしている。しかしそれでも検索トップである。 なんとなく申し訳ないので、ちょこっと書きにきました。Sep 25, 2005
エッセイをひとつ追加。
アップしたのは、去年(?)「長帽子」に出したもの。5年前、子どもが生まれるので、妻の実家のそばに引っ越してきた。ここらは高度成長期に栄えた工場町で、新興住宅地を転々としてきた私には、いろいろなものが新鮮だった。写真をめぐるエッセイは、「長帽子」の編集後記とかで、ぽつぽつだしていた。継続的に書いていた(る?)『ダゲレオ式』なる詩も、写真がテーマである。そんなに写真が好きかというと、それほどでもない。
ただ、時間と記憶というテーマを、とてもプライベートな領域で保持しているので、面白い。身近だし。
実は近々また引越をする。道路を挟んだ向こう側に移動するだけなのだけど、部屋の整理が大変である。 色々掘り起こしているうちに、この5年分のさまざまなものが発掘された。
発掘された物件を見ながら、しばらく呆然としたのである。「この5年間、何をやっていたのだろう!」と。 くわしいことは避けるが、とにかく驚いたのである。
それはそうと、引越にあたって、突然、上の子がデジカメで家のなかの風景を撮り始めた。本人になぜかを聞くと、「忘れないように」と言う。
で、ふとこのエッセイの存在を思い出したのである。タイトルは伊藤静雄の詩からとった。彼の詩をまた読み返してみたのだけど、時間と記憶について、本当に鋭い、ブラボーを詩を書いている。ドイツの詩が好きだったはずと記憶しているが、こうした意識は、どちらかと言えば、フランス寄りだった「四季」の書き手にはなかっただろう。
このエッセイと近いことを、最近考えているので、それでまた、なんか書くかもしれない。
Aug 08, 2005
詩をふたつアップ。
早速詩をふたつアップしてみた。一番最近のもの。ふたつとも傾向が違うのが一緒にアップした理由でしょうか。灰皿町を散策してみる。南川優子さんを見つけたので、訪問。イギリスの風景はいいなあ。料理がどれもうまそうである。文章もとてもよい。彼女の作品は、日本語の詩ではとても珍しく、英詩的なシンプルさとユーモアに満ちていて、とても好きである。今はバイリンガルで書かれていることも、初めて知った。ブラボー! 彼女の詩の故郷は明らかに日本ではなかったので、これは当然のことかもしれない。
以前、英語圏の人の前で、自作を英語で朗読する、というのをやったことがある。そのとき、英訳された自分の詩を見てまず思ったことは、「全然英語圏の詩じゃねえ~!」である。当たり前である。でも、本当に英語になって目の前にあると、俄然インパクトが違う。実際に朗読してみても、かなり場違いな感じであった。それはそれで面白かったのだけど。2次会で、訳してくださった人が「これはフランス語なら、たぶんきれいにキマるわよ」と淡々と語っていた。自分の詩のルーツを改めて知らされたときであった。