Mar 25, 2007
オーマイ・ターシャ!!
本はずいぶん前にでてたが、TVで見たのは初めてだった。「ターシャの庭」。
それがその本の名で、母にわたしが図書館から借りてきたときは、母は見なかった。
そのご弟が買ってきたら、ごきげんで読んだらしい。
そして「ねえちゃんだったら、もっと広くなくちゃ!」と口々に叫んだそうだ。
そういう親子である。
しかしオヤマボクチの芽がで、シラネアオイの芽がでてじたばたしているのだ。
挙句、植えたものを忘れ掘り返す。
うちの草本の密度は高い。
草本は手がかかる。
その点、木は楽なはず。
疲れたのでやめ。
Mar 18, 2007
アサガオの種をそろそろ整理していて・・・・。
アサガオを撒くのは6月。昨年はいっぱい種が採れたのだけれど、今年は、ぐっと色目を変えよう。
海老茶みたいな「団十郎」というのが、去年は朝顔市で流行っていたらしい。
今年もそうかな?
まあ年々アサガオの栽培をする人も減っているらしいから、青ばかりのアサガオのなか、渋いのもいいと思うのだ。
http://protist.i.hosei.ac.jp/Asagao/Yoneda_DB/J/Introduction/htmls/comment.html
Mar 17, 2007
入院を勧められた。
糖尿病の検査値が、非常に悪かった。数値を見てDrが、かたまってしまった。
わたしもショックだった。
この間の食事の管理はめちゃめちゃだった。
運動もぜんぜんしなかった。
・・・・・
わたしが居なかったら、犬や植物はどうなるんだろう。
「困ります」と言ったんだけど。
次回決定!!なのだ。
Mar 13, 2007
椿が来た!
今、椿屋さんは忙しい。なぜなら、接木の真っ最中なのだ。
それなのに、見計らってくださいとたのんだ。
図鑑ではわからない、スジのいい花を電話で話しながら今まで買ってきて、それはすべて予想以上のものであった。
そんなこともあって、今回は一手間抜いたわけだ。
すると到着したのは、バラのようだったり造花のようだったり。
びっくりした。
悩んだあげく4本もあるソレを、引き取ってもらえないか頼んだ。
すると開花中でないと売れないので、返品は困ると言われた。
電話でちょっと険悪な雰囲気がながれて。
信頼関係に、びびっとヒビがはいった。
しかし真剣にツバキを育てている人の「ツバキ観」との格闘かも知れない。
外来種は好きでないと思っていたわたしの、ツバキ観が変わるかもしれない。
しばらくつきあってみようと思いましたとさ。
Mar 11, 2007
そろそろ草もち。
今日も具合が悪く、つらかった。母に聞くと母も不調なのだそうだ。
おととい、写真を撮りに行って「のびる」を見つけた。
貸し農園の空き地だが、それは見たことがないほど、すばらしく立派だった。
「ぬた」だ。
椿のはなとともに、母のもとに持っていった。
午後に行って半日話しをしていた。
母が結婚してからのいろいろな話。
わたしたちが生まれてからの話。
「わたしはお前が大学生のころが、大変だったけれどよかったね」
「大学院行ければよかった?」と聞く。
牧歌的な共同体に見えた、ご近所付き合いは母にとっては試練だった。
「だから働きにいったのよ」
「お父さんの姉妹はみんな女学校出で、周囲は官庁の官舎だらけで「インテリばっかりだったから、大変だった」と笑う。
「あのね、『そのとき歴史が 動いた』って番組好きなんだけど、昨日やっていてね。
公害のことをやっていて、イタイイタイ病や水俣病や。。。。それであんたが水俣病のことを一生懸命やっていたとき思い出して、あのころの学生はよかったって思うのよ」
「お金お金じゃなかったからね」
母とは女であることを、時々語る。
おとうさん「どうして女の子は大学行っちゃいけないの?」って聞かれて答えられなくて、あんたを大学に行かせたのよ。
なんとなくつむがれていく話は、実はとても重い。
「あのね、イタイイタイ病の判決だした裁判長はMちゃんのお父さんだよ。」
Mちゃんはすぐに転勤したが、京大に入ったはずだ。
母の話がいつになく穏やかだ。
母とむかし、ヨモギを摘みに行ったことがある。
歩道橋の下(!)だったのだが小さい芽をつんでいたのが、母との原風景になっている。
母の口からつむがれる単語は、社会につながっているのに畳まれそうになっている気がする。
Mar 06, 2007
ふっと体が軽くなって、前線が通過した気がした。
春の雪や嵐にみまわれたところは大変だったようだ。
気象の異変は災害に結びつく。
明日からは、また冬型なのだそうだ。
他人の体は、こんな風な反応をしないのか。
働けていた時代より、まだマシなのだけど。
躯体が軋んでいる。
体が軽く感じたとたん、設計事務所から電話があった。
一番がんばってくれているYさんだった。
まだ小さい修正がある。
なんだか頭がいっぱいになっている。
春の雪や嵐にみまわれたところは大変だったようだ。
気象の異変は災害に結びつく。
明日からは、また冬型なのだそうだ。
他人の体は、こんな風な反応をしないのか。
働けていた時代より、まだマシなのだけど。
躯体が軋んでいる。
体が軽く感じたとたん、設計事務所から電話があった。
一番がんばってくれているYさんだった。
まだ小さい修正がある。
なんだか頭がいっぱいになっている。
母の名言
台風のような気圧の変化で、体がきしんで昨日は殆ど横になっていた。老いた母も同じように苦しんではいないかと、電話で様子を確認していた。
母にはおととい「フキノトウ」を送った。
昨年から、春のご馳走に君臨しているフキノトウの第二段。
産地は新潟。
母は以外に元気だった。
「食べた?」
「食べたよ。おいしかった。」
「でも、フキノトウはC大(近くの大学)のが一番だね。苦すぎる。」
目黒のさんまみたいなことをいうと、ひとり笑っていた。