Dec 05, 2005

動物のことあれこれ

一時期、病気を媒介するということで、憎まれ役になっていたビャクシンに、最近は行かなくなったペット屋で、以前であった。
ビャクシンはしなやかな動きをし、夫婦で「ねえ、飼って・・・」と誘うのであった。
店の主は「咬まないよ。かわいいでしょ?」と言った。
しかし、指を入れたら大いに齧られた。
うそつき!と思ったが、主は自分で指をいれて「ほら、咬まないでしょう?」と言ったのだ。
わたしは血を流して、店をでた。
バンドエイドも貼ってくれなかった。


こどもの時、いとこの家の近くでミンクを飼っている家があった。
いとこの家は、子供を放し飼いにしていたから、わたしたちは楽しみで、家では絶対にできないようなことをやった。
鉄道の土手での草スキー、ザリガニ取り、花札。
ミンクはそのうちのひとつだが、「指をちぎられるぞ」と脅かされた。
初めて会う動物に、警戒心を持つのはあたりまえだと教わったのだ。
そういうことを今の、子供たちは教わっているのだろうか。
どこで学ぶのだろう。


子犬たちを見ていて、本当に不思議なのは自分の、身体のスケールをどこで学ぶのかということだ。
彼らは、鏡も使わず身体の大きさや、部分の大きさをどう体得してゆくのだろう。
自分の身体への了解を、どうしているのだろうか?と思う。
人間の場合は多く、言葉の体得でそれらを乗り越える。
たとえばメルロ・ポンティによれば、第二子が産まれると過去形を覚えるとか(仏語)ということさえあるそうだ。
最近、犬たちは迷惑そうな顔をしていた、頭をなでる行為を気持ちがよいと感じるようになった。
これはどういうことだろうと、考えるとすごく不思議なのだ。
言葉で生きている人間は、こんなことすらわからない。


言葉があるから、人間は人間のヒューマン・スケールを超えてしまったかも知れないのだ。
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