Dec 28, 2006
ギャンブラーズ・ブルース
突然ですが、私はギャンブルというものが好きではありません。真面目とかそういうことではなく、全く興味を感じられないのです。
それでも友人との付き合いもあるので、パチンコや競馬や競輪など行ったことはあるのですが、
どれもその場限りで、少なくとも自主的にギャンブルをしに行ったことは一度もありません。
付き合いと言えどパチンコやパチスロは回数にしてみれば結構行っているのですが、
いまだにルールというか、やり方すらも覚えられません。
何故好きになれないかといえば、恐らくはギャンブルで勝つことに喜びを感じられないからでしょう。
まあ付き合いで遊び半分にやっていても、時には勝ってしまうこともあります。
すると払い戻しとして何千円か何万円かのお金が手元に戻ってくるわけですが、
そのお金を見ても、びっくりするほど嬉しくないのですね。
勿論お金自体に興味がないわけではありません。
私も人並みにお金は好きです。
でもギャンブルで勝ったお金というのは、なんかこう、違って見える。
自分の給料が入っている口座からおろした一万円札はとても重みのあるものに見えているのに、
ギャンブルで勝った一万円札は、なんかほんとに、ただの券にしか見えないのです。
お金は所詮紙切れといいますが、全くその言葉通り、貴重なものという実感がわきません。
この感覚、ギャンブル嫌いな人間だけなんだろうなと思っていたのですが、
ギャンブル好きの友人がパチンコで勝ったお金をその直後、
ぱーっと無駄遣いとしか思えぬ遊びや飲み食いに全部使ってしまったり、
よせばいいのに更にパチンコを続けて全部すってしまったりしているのを見ると、
多かれ少なかれ彼らも同じような感覚を持っているのかもしれません。
悪銭身につかず。
あ、ちなみに私はギャンブルをする人を蔑んだりとかそういう気持ちは全くありません。
ギャンブルも正当なお金の使い道だと思いますし、人がなんと言おうと本人が満足ならいいと思います。
で、ギャンブルで勝って得たお札、あれをじっと見ていると、なんか不思議な気分になってくるんですね。
こーんなただの紙切れで事実上人間様の価値や幸不幸が決まってしまうのかとか、
証券会社や銀行で他人のお金を扱っている人は、こんな目でお金を見ているんだろうなあとか、
そりゃ何億円税金無駄遣いしたって抵抗なくなるよなあとか。
そんな虚しさが実感としてわいてくると同時に、そういうことが仕方ないことのように思えてくるのです。
自分でかけた魔法なだけあって、実に素直に人間は操られ、ことを進めていきます。
恐らく私も彼らのような立場だったら、それがどんな大金でも、
どぶに捨てるような使い方をして平気でいるでしょう。
そんな仕組みであるからこそ、いいにつけ悪いにつけ、世の中はまわっているのかもしれません。
なんてことをつらつらと書いたのは、つい先日また友人数人に付き合ってパチンコをやった際、
何故か私だけ偶然結構な大金を勝ち、ああこれで新しいコート買っちゃおうかなあと思ったのも束の間、
直後に全額その場にいた友人の飲み代に消えたことへの、なんとも言えない不条理な思いからでした。
とほほ。
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