Mar 15, 2006

私はこのブログで

自分のことを「私」と書きます。
そして詩を書くときも、私は自分のことを「私」と書きます。

しかし私は普段、友人などと会話をするとき、
自分のことを「俺」と言うのです。
また独り言を言うときも「俺」です。
「・・・あれ、俺あれ何処やったっけ・・・」とか。
目上の人と話すときに「僕」と言うこともあったり、
また仕事や公的な場では自分のことを「私」と言いもしますが、
基本、個人的な私は「俺」です。

ならば詩を書くときも「俺」で書くべきところでしょうが、
私にはそれができません。
「俺」や「僕」は、口にするのは平気なのですが、
字面にすると、何故か非常に違和感を覚えてしまうのです。
これは飽くまで私個人が自分の詩に対して感じることですが、
字面にした「俺」「おれ」は、ちょっとハードすぎるような気がします。
また「僕」「ぼく」とすると、しゅっとした顔のお坊ちゃまっぽい気がします。
そこで「私」と書くと、なんだか違和感なくすんなりと書き進められます。

これはひとつは、「私」という文字が持っている没個性性が、
私の書くような詩には合っているということがあると思います。
「俺」や「僕」に比べて「私」は、
顔のない、実在するのか否かわからない雰囲気を持っています。
しかしこれが、詩を書く私には合っているのですね。
決して自分の個性を消そうとか、隠そうとかしているのではありません。
「俺」や「僕」で書くと、その表現自体に力がありすぎて、
自分を書こうとしても、逆にぼやけさせられてしまうのです。

それともうひとつ思うは、
恐らく私の中で「・・・なんで俺ばっか・・・」などと独り言を言っている「俺」な私と、
詩を書きつけている私は、別の私だということです。
その私が、「俺」でも「僕」でもない、強いて言うとするなら「私」なのです。
思えば子供の頃は、自分はひとつだけしかいなかったはずです。
成長するにつれて、自分を色々と使い分けるようになり、
そのひとつが、詩を書き始めたと言ったところでしょうか。

それに対して、私の中の「俺」は詩を書こうとしません。
「俺」にも勿論、苛立ちや嘆きや喜びは大いにあるのですが、
それを詩で表現することに、私は違和感を覚えるのです。
時折「俺」も、なにかしら書き殴ることがあるのですが、
私の目から見ると、それは「詩」という形で表現すべきものではありません。
だからこの先もし、それを表に出すことが仮にあったとしても、
詩という形以外で出すことになるはずです。

すると私が詩の朗読をしないのは、
「私」が書いた詩を「俺」は読むことが出来ないからでしょう。
自分が持っている朗読に対しての拒絶感を考えると、
「私」と「俺」は自分の中でも全く別の場所にいるようです。
なんというか、感じとしては、
「俺」より「私」の方が、より深い場所にいる気がします。
そして「私」は、日の当たる場所までは決して出てくることが出来ません。
だからこそ、「詩」というまどろっこしい形でなければ、自分を表現できないのです。
それを朗読するのだとしたら、もう「俺」に任せるしかないのですが、
「俺」にその役目は引き受けるつもりはありません。

朗読をされる方は恐らく、詩を書く自分と普段の自分が同じか、
または非常に近い場所にいるのではないでしょうか。
恐らくその方が詩人としては普通のことなのでしょうし、
客観的に見ても魅力のある詩人に見えるはずです。
しかし私は今のところ、そうはなれそうにありません。
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