Oct 22, 2006

なんだか冴えない

話題ばかりの映画「ゲド戦記」ですが、
今度は挿入歌である「テルーの唄」の歌詞の一部が萩原朔太郎の詩に酷似している、
なんてニュースがありました。
なんでも作詞した宮崎吾郎監督は、朔太郎の詩を参考にしたと明言していて、
公式サイトにはそのことは書かれているようですが、CD自体には記載されていないようです。
詳しくはネットニュースで見てください。

このようなニュースは後を絶ちませんね。
時を同じくして、ミュージシャンの槙原敬之氏が書いた曲の歌詞が、
「銀河鉄道999」に出てくる言葉に酷似しているというニュースも流れています。
ちょっと前には画家和田義彦氏が、アルベルト・スギ氏の絵を盗作しただとか、
あと詩の世界にもそんな話題がありましたね。

上記したようなヒットを義務付けられているような人たちは、ものすごいプレッシャーの中で、
気持ちが揺らいでしまうこともあるのでしょう。
本当に盗作であったかどうか私には判断できませんが、
盗作自体はやはりいけないことですね。

なんらかの表現をしていると、
好きな表現者の作ったものを真似してみたいという欲求に駆られることはあると思います。
あのバンドのギタリストが大好きだから、同じギターを買って、同じ髪型にして、曲のコピーを、
というのはとても楽しいですし、絵が上手ければ、好きな漫画家のキャラクターを使って、
好き勝手な漫画を描くのは楽しいに違いありません。
それはそれでとても楽しいのですが、やっぱりそれはアマチュアのすることだと思います。
私は音楽が好きで、洋楽のアーティストなどよく聴いていたのですが、
日本のプロミュージシャンが海外の曲のフレーズなどを、もう盗作としか思えないほど、
そっくりそのまま自分の曲に使って平気な顔をしているのを見ると、やはり悲しくなります。
そういうのを見ると、日本の音楽シーンは寧ろものまね王座決定戦に近いとさえ思えます。

詩を書く人は、殆どが詩からの収入だけでは生活が成り立たないので、
そういう意味では世間で言うところのアマチュアなのでしょうから、
少しぐらいパクっちゃってみても許されそうな気もしますが、
しかしやっぱり心意気ぐらいは持っていないと悲しいです。
「誰も認めてくれないし、詩集も全然売れないけど、俺はプロなんだぜ」と、
口には出来なくても、心の底ではこっそり思っていたいものです。
そうすると、やはりいくら心酔する詩人がいて、その人の真似がしたくても、
少なくとも自分の名義だけで発表するなら、それはすべきでないと思います。
もちろん先人たちが確立してきた詩の形を見てしまっている限り、
そこから様々な影響を受けることは避けられないのですが、それを抜け出した時に初めて、
ひとりの表現者として成立するのだと思いたいですね。
それは大変しんどいことでしょうし、結局無駄な努力に終わる可能性は非常に高いですが、
気持ちだけは忘れたくないところです。

しかしゲド戦記の「テルーの唄」、いい曲だなあなんて思ってたんですけど。
荒川洋治氏が「諸君!」で言っているように、原詩:萩原朔太郎、ぐらいはCDに記載しても
良かったのではと思います。
そうしたら、CDを買った人の中には、朔太郎の詩集にも手を伸ばしてみる人も多かったのでは。
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