Aug 18, 2007

詩のソムリエ?

 
アルコールは強くないが、ワインファンである。特に、ボルドーの赤が好きだ。長年にわたって築かれた伝統というのは敬意を表する価値がある。カベルネ・ソーヴィニョンを主体とした渋み。いい葡萄を育てるテロワール(土壌)と気象条件と栽培者の技量。更に、ワイナリーのワイン醸造のノウハウ。飛びぬけた味覚。そんなものが複合されて初めて世界的に珍重されるグラン・ヴァンが産出可能となるのだろう。ワインもすぐれた文化と言ってよいと思う。

 ワインの味の鑑別士はソムリエだ。香水には聴香師がいる。  詩には批評家がいるということだろうか?
 
ある詩人と、『詩にもソムリエ(「ポエトリー・ソムリエ」とでも呼ぼうか?)がいればいいのにね』、という話をしたことがある。  
かれは、反対意見だった。『詩は、ひっそりと書くべきものだと思う。メジャーにならないところに詩を詩たらしめるゆえんがある。メジャーになって日の当たるところへ行き過ぎると詩の香りも味も落ちてしまうのではないか?』
 いろいろな考え方があっていいと思うが、ぼくは詩のソムリエ待望論者だ。きっと詩にも「目利き」はたくさんいるのだと思う。ただ、シャイなひとが多いせいか、あるいは、言挙げすることを嫌う向きが多数を占めるせいか、どうも詩についての評価というものが貧しい状況にあるような気がしてならない。
 
かれに言わせると、ぼくがエクセントリックだということになるらしいが、なかなか納得できなくて困っている。誹謗中傷は避けたいが、真摯な批評は詩を磨き活性化するのではないだろうか?  
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