Aug 10, 2008

書評

詩人であることについて ――吉田群青詩集『海月の骨』に触れて

 こんど出た吉田群青さんの詩集『海月の骨』を読んで思ったことは、詩人という役回り、あるいは詩人であることが避けがたい巡り合わせというものがあるのだな、ということだ。と言って、群青さんの身の上の具体的な何かを、直接存じ上げている、というわけではない。彼女に関する情報は、みんな彼女自身によるところの、詩やブログのうえでのものでしかない。そもそも、当詩集を恵与され、拝読することになったきっかけ、さいしょが、詩のウェブマガジンと言うのが正確どうか分からないが、「未詳」という媒体に乗った彼女の作品で、それが他の作者のものとはひどく異質に思え、検索をかけて(ストーカーみたいに)、「ホテル・バルセロナ」という名の、吉田群青としてのブログや、「弁解なんかしたくなかった」という詩専門のホームページに辿り着いたのだ。ここから本腰を入れて群青さんの作品を読んでいったのだが、そこではじめに言った感想をあらがいがたく持たされた。
 どこが他のあまたある凡庸なネット詩人と違うのか。かかるネット詩人たちをふくむ、現代の多くのわかものがそのことに苦しんでいる、現実感の無さ、展望というものや達成感、具体性の欠如に、彼女もまた同じく悩まされている。そして、同じく絶望している。だが彼女の場合、無感覚の苦しみも、絶望感―そこから来る寂寥感という苦しみも、余人のそれよりさらに遠く深い場所からの感覚といえるのではないか、という気がするのだ。遠く深い場所から群青さんは、驚くほど正確かつ無造作に、その感覚を物象としてつかみ出し、言葉に貼り付ける。おそらく冷静とか厳密ということから最も遠いところで。ただし一種の静かなトランス状態のなか、はたから見たら冷静とか厳密というものとちょっと見間違うばかりに。人が詩を、書き進めるうちにだんだんにせり上がってゆく達成点というものがあるとするなら、彼女はいきなり「その地点から」書くことをはじめてしまう。そしてそんなステージの高さは彼女の(病歴とか性格とかの)悲劇性というdestinyに精確に対応しているのだが、しかし詩は、彼女のそういった個人的でプライヴェートな事情を恐らく超過してしまう。ここが詩人であることの否応のない巡り合わせであり、余人と異なる点なのだ。
 群青さんの詩の具体的なところに、ここで少し触れてみる。彼女の詩を読んでいると、ふつうの抒情詩とは少しかけ違った感じを持たされる。通常の抒情詩が静止画のようなものとすれば、対して彼女の詩には時間的な進行と展開(転換)があるのだ。つまり小説的なのである。ついでに言えば、作品に、落語のいわゆるオチのようなさいごの二、三行ないし一行がしばしばつく。
 この点についてもっと言えば、「雨の日に変質する」のさいご二行は、詩では心当たりがないが、小説では漱石の『吾輩は猫である』の冒頭、「残酷なこども」のさいごの二行は、同じく漱石の『坊っちゃん』のむすびによく似ている。ちなみに引いてみる。

吾輩は猫である。名前はまだ無い。(『吾輩は猫である』)

自分の名前は
まだ考え付いていない (「雨の日に変質する」)


死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。(『坊っちゃん』)

家にはすでにどこからか
新しい母がちゃんと来ていて
ドーナツを揚げたり
ホットケーキを焼いたりしてて
だから別にいいのかなあと思う

新しい母には顔がなくて
だから僕は母の顔を知らない (「残酷なこども」)

 この二例は気のせいかも知らぬが、それほど群青さんの詩の世界は、近代詩や戦後詩というよりは、私などにはなつかしい日本の近代小説の匂いがする。じじつ、「妻の話」では、太宰治の『斜陽』を「わたし」が読んでいるところが登場しさえする。
 時間的な進行について言えば、そのことを示す助動詞や副詞をふくむ行が「お話」の進行や展開(転換)を促している。たちどころに例示できるであろう(< >で示した部分)。

誰か来たような気がして
<ドアをあけたら>
君の気配が立っていた     (「君の気配」)

<やがて夜になると電柱は>
支える青を急になくして
心もとなくそこに立っている  (「夜空の電柱、冬のはじまり」)

<そのうち熊はわたしを横目で見ながら>
りんごを買って
去っていった         (「雨の日に変質する」)

 詩の世界の雰囲気が近代小説的であるというのも、いわば抒情詩のような静止画でなく、時間的な進行をともなった叙事・物語的な、こういう特有の性格から推し量ることができるのである。所謂抒情詩とは少しく異質な、ひとつひとつがある意味でコンパクトな「お話」の素から成っている。そしてそれが群青さんにより、行分けされて私たちに示されるとき、詩の在り方としては「寓話的なもの」という概念に相等なことが判る。それは、よくできた小咄のようなものから(「小さなシリーズ」など)、名手が書いたみたいな短編小説(「妻の話」「王様」「資本主義と社会主義」など)、背後に「お話」の存在を思わせる一種静止画的な抒情詩(「夜空の電柱、冬のはじまり」「初夏」「お母さんと結婚したい」等、本詩集では数多く書かれたはずのこの系統の作品が比較的に割愛されている)、それから厳粛なアポカリプスのような示現に至る多様な層から成っている。そして、この詩集の基層にある「気分」というものを言うのなら、いま示したさいごのカテゴリーに属する、われわれの胸に厳粛ともいえる印象を残す次の詩を挙げなくてはならない。これは群青さんからこの世界に突きつけられたアポカリプスである。すなわち「飼育係、或いは荒廃」と「昨日、戦争が」だ。
 前者は小学校のときのことらしいが、メダカを水槽から排水溝に流した(逃がした?)作者と思しき飼育係は、そのあと空の水槽に入れられたミドリガメが、男の子たちの「遊び」によりサッカーボールの代わりに蹴られて教室の隅で死に(虐殺され)、ミドリガメの後、また空の水槽に入れられたハムスターが、男の子たちの「冗談」によって踏み殺され(虐殺され)るのをただ傍観するしかない。そして「死んでいった小さい生き物」を悼むため、自罰のようにみずからの息を止めるのだ。群青さんがそのときまさにそのようであった、子供たちの世界がこんなにも救いのないものである事実に、私は息をのむ。
 また後者は架空の寓話に似ているが、目の前に拡がる世界に、悪夢のような、非現実的なまでの残酷さを感覚し、造形している作者が、まだ二十四歳の若い女性であるということに、驚くとともにひどく胸が痛むのだ。

僕が戦争に気付いたのは
それから三日後で
何故気付いたかと云うと
僕のぼろアパートに
女の子が訪ねてきたからだった
女の子は一人では無かった
子供を抱っこしていた
子供は血まみれだった
頭がかち割れて
きれいにかち割れて
そこから宇宙のような
宇宙のような

女の子は錯乱しているようで
この子を助けてください
あたしの妹なんです
と何度も何度も叫んだ
どう見たってもう死んでいるのに
(中略)
だって僕はまだ若いし
とたわけた事を考えた刹那
どこからか飛んできた大砲の弾が
女の子を吹き飛ばした
宇宙のような
宇宙のような
塵・芥が雨のように    (「昨日、戦争が」)

 ユーモアもあり、トボケていたり、真面目であったり、家族に対する切ないまでの愛情を抱いていたりとさまざまだが、総じていま示したこの二篇が作者の世界の最深奥にうずくまって、この詩集の「気分」を醸成している。それは恐怖に満ち、逃げ場がなくて、人間的な感情といったら諦念しかなく、けれど一歩たがえればあこがれと見まがうほどに綺麗な寂寥の色を帯びている。巧拙ではなく、生身でそのただ中にいて、絶対に見えないものと切り結んでいる。実に詩人であるということは、詩の巧拙を超えたなにものかなのだ。それはひとつの栄耀であり、痛苦でもある。この詩集のさいごの、次の詩のさいごのように。

無意識のうちに手をいっぱいに広げている
何を掴みたいんだろう
掴みたいものなどもう何も
無いはずだと思っていたのだけれど   (「ひとりぐらし」)
Posted at 13:07 in sugiyama | WriteBacks (0) | Edit
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