Apr 25, 2008
しわしわの話
自分の芯のほうを気づかってやらないと。そうしないといとも簡単に私はしわしわになるだろう。
しわしわに気づいてしまったらもうその感じが
触りたくてかなわない。
見ることも聞くこともかなわない、どうしようもないところに
ずっと押し込んだら
どこにいったか忘れて忘れたこと自体
姿をあらわさなくなるのだけど。
だから、かなわないながら、時々はしわしわのまま
どこかで夢を見る必要がある。
しわしわで耐えられるのは10年とかはたまた100年くらいで
しわしわのまま、死んでしまって
しわしわらしきものが、どこかで持ち越され
曲がり角とか、ドアの外にでる時に
うつしみに入っていく。
うつしみはそういうしわしわを生きている。
しわしわはずっと何か呼んでいるはずなのだから
だから、この服を買いたいとか
この空は20年は持つと思うというような
いい気分が呼び起こされ
そのしわしわが、暗やみの部分を支えて
ずっと苦労することになるのだ。
しわしわにはなれない。
しわしわだからなあ。私のそのまた私の
どうしようもなく私が明け渡しなら
渡しだから
しわしわはそこに住まうこと自体をさすわけで。
貧しいや、異邦とか、そういうものは
ものではなく
しわしわの変異形態である。
しわしわはしわしわでしかありえず
しわしわは何者にもなることができ
ついになんでもないような気になり続ける
そんな声を発し続ける。
美味しいご飯を食べて
しわしわで
しわしわは、変わらないことで
どんな味付けもできるふりかけかもしれない。
しわしわがうづくと
もうどうしようもない。
果てしなく夢をみて
夢を生きてだらだらと寝たまま
生きていき
記憶は用意され、人生山あり谷ありで
しわしわだけが、それを握って放さない。
そういうとき人は夢中で自在に
一切の中に放下して、ああええなあと
どんどん自在自動の境地に達するとかどうなのか。
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