Mar 04, 2008
逃げる勇気・戦う勇気・独立
最近、なぜか「戦い」ということをふと思った。難しい名前を出すのを許していただきたいが、レヴィナスというユダヤ人哲学者がいる。リトアニア生まれで後にフランスに住む。ドイツついでフランスで勉強していた頃、第二次大戦が起こる。ナチの勃興・ヒトラーに関する論文も書いている。彼もフランス軍の兵士として戦場に向かう。そこでドイツ軍に捕虜として収容される。幸い命からがら復員する。たぶん、その頃ユダヤ人をはじめとしてナチが大量虐殺を行っていたことを知ったのかも知れない。戦後、レヴィナスはたぶんその事実に落ち込み、無力感を感じた。眠れない夜や、ベットから起き上がるのもやっとの日々もあったのかもしれない。彼の著書『実存から実存者へ』は哲学のことばで書かれていて難しい。けれど、そういう無力感の中で悶々として何も出来ないことも、心の中の「戦い」だと彼は言っているのだと思う。疲れて参ってベットからやっと起き上がる。その起き上がりも「行為」に近いと彼はいう。何も出来ない自分だが、何とか生きることで、毎日起きるということだけでも、それは生きることなのだと彼はいう。むしろわけのわからない恐ろしい暴力の傷跡を抱えて生きるにはそれしかない。わかったように戦争の原因はこうですといえないという認識が彼の思索の出発点なのだ。
もうひとつ彼の論文に「逃走論」というのがある。人は受けとめられないことに向かう無謀な勇気を無闇に美化する。それは戦争の賛美とどうちがうのか。真剣に何かに向き合うことは大切だ。しかし今の現実が変だ、受け入れられないと感じた時、己を顧みて、青ざめて退却することも大事だと彼は言っているようだ。引き受けられないで倒れるよりは、どんどん逃げてしまえ。逃げることでいつの間にかちがう道に入り込んで、いいものに出会えるかもしれない。レヴィナスはもちろん自分は卑怯かもしれないと思っているのかもしれない。けれど、今の自分では無理だと感じる勇気、それを確認して次にいく勇気もあるよとささやいている。今引き受けられなくてもいつか。なぜなら、人間は自分でこの現実を選んで生まれてきたわけではない。けれど、自分なりにこの現実を考え自分の足で立つにはどうしたらいいか。レヴィナスの考えは示唆的である。これを逃げる勇気と呼びたいと思う。
もちろんこれらのレヴィナスの解釈は専門家から見れば世俗的で笑止だろうと思う。けれど、自分が生きるために、大切なものを考え守るためにどうしたらいいか。僕はいつもそういう観点からややこしい本を読んでいる気がする。世の中には世の中的な語彙で語れば、簡単に世の中に押し流されるようなそんな罠がある。それはいやだ。もちろん無闇にややこしい言葉で煙に巻くのはよくないけれど、何回もひねらないと届かないことがある。もちろん詩もその一部である。主題が素朴な言葉にふさわしいのなら、素朴な言葉で書くのがふさわしいのは当然のことである。
それでは、この前置きと直接は関係ないかもしれないけれど、「闘い」をテーマにした曲を紹介したい。
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Primal Scream - Swastika Eyes
名前の「Swastika=鍵十字」はナチのシンボルマーク。この曲が出た頃、非常に興奮した。もちろん、ヒトラー万歳の歌ではない。曰く「おまえの魂は燃えない/暗い太陽/おまえはみんなの炎に雨を降り注ぐ/悪徳警官 政府の役人/精神を摘出された腐敗した輩たち」世の中をつまらなくしていく、どうしようもない弛緩。そこから導きだされるダメダメな命令の数々。そういうものをメロメロというか気だるい歌い方で溶かしてしまう。プライマルは出すたびに音楽の形態が変わるのだが、今度はテクノですかと思うことは当時できなかった。その前に僕が聴いたプライマルはブルーズだったりして何でこんな急にテクノになったのか見当がつかなかった。この曲は911テロのわずか1年前に出ている。
全然僕は当時世の中に対して不穏さなんて感じなかった。仕事は楽しかった。911の年には病気がはじまって、それと関係はないと思うが、小泉さんも対イラク戦争に速攻で支持した。もしかしたら、プライマルもイギリスの人なわけで、何となく妙な空気を感じていたのかもしれない。こういう露骨な海外の政治批判が日本でもヒットするわけだが、実は日本ではかつて忌野清志郎が君が代を替え歌にしたら禁止された。それ以降90年代から露骨な日本人による政治批判の歌が出にくくなったかもしれない。
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中島みゆき ファイト
世の中にある偽善やささいな暴力に心痛める人にエールを送っている。心やさしい人は他人が行う悪を見ると、なぜか自分に責任があると思う。今頃格差だなんだというけれど、この歌にある30年近く前に中学卒業と同時に上京した娘は今頃どうしているのだろう。何をやってもうまくいかないで傷ついている人がいることと、いつの時代でも格差が存在すると平然と述べる方々は、たぶん根っこのところですれちがっていると思う。そういう「平然とした」認識では言葉なんて届かない。だから、せめて世界の片隅で生きている人に歌が届くようにより徹底する。この頃の中島みゆきにはそういう力があったと思う。個人的に中島みゆきは、全部が全部好きではない。けれど、リスナーの年とか境遇とか関係なく、一人一人の暮らしの大事なところや心の襞に的確にヒットさせる作品はいい。それが出来るのが優れた表現者だと思う。
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Rage Against The Machine - Sleep Now In The Fire
直訳では機械に対する反抗。なにしろ反抗であるから、対イラク戦争のとき、レイジの曲はラジオ放送禁止となった。僕はレイジは苦手だった。
最近タワレコで彼らの出した代表アルバム3つがパックされて¥2300で売っていた。試聴してみたら言葉が小気味いい。刺してくる。彼らは歌詞が重要なので音はたいして重要ではないと考えているようだ。一種のアジテーションのために音楽を使う。そりゃ当局から禁止されるはずである。けど、メッセージを届かせるために仮面をかぶるってのは見習ってもいいかもな。
音楽がかっこいいから若い子が聴いているとついついはまる。けれど、その中には社会正義を訴える歌詞が仕込まれている。日本のヒップホップはなぜか親父の説教だったりするのもあって悲しい。殴り合いがいいとは思わない。けれど、こういう曲を聴いて世の中について考えるようになるのは悪くない。場末や街でこういう音楽を聴いて、真剣に考える人たちだって出てくるとしたら。もちろん破壊的な人たちも同時に出てくるのかもしれないけれど。
ちなみにこのプロモはニューヨークかなんかの証券取引街で撮影したもの。やっぱり警察がでてきて、逮捕されてしまった。けど通りがかりのビジネスマンはノリノリ。官公庁街の地下鉄に毒ガスをまく連中とは一味ちがう。
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中村中 - 友達の詩
個人的には少し気になる程度で、あんまり聴くことをしなかった。オーラの泉に出た時興味本位で見たら、エハラ・ミワ両先生よりずっと貫禄ある受け答えをしていて、快哉を叫んでしまった。スピリチュアルな過去生のお話もなかった。中村さんがいやがったのかなあとかんぐった。トークにおいても歌においても、心の中の修羅と戦ってきたんだろうと感じた。「自分と向き合え」とか「逃げちゃダメだ」とかのお説教や気合いより「大事な人は友達くらいがちょうどいい」とささやかれる方がずっと沁みるし勇気が出ると思う。
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The Beach Boys -Caroline No
あんまり戦っていない歌に聞こえるかもしれない。しかしビートルズに刺激され負けないぞと作ったアルバム『ペットサウンズ』。その中の1曲。繊細な天上空間。
今聴くと素敵。けれど当時結局売れ線の曲ではなく、レコード会社にも理解されず、ブライアン・ウィルソンは激しく落ち込んでいく。薬でふらふらになり、どんどん屈折しヒットチャートから遠くなる。けれど、幾多の波にもまれ、仲間を失いながら、今でもブライアンはしぶとく活動しているようなのだ。
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鈴木慶一(曽我部恵一プロデュース)
『ヘイト船長とラブ航海士』より「おお、阿呆舟よ、何処へ行く」
「超満員の阿呆電車とおりゆくのをずっと待ってる」すげえ歌詞である。
さっき勇気といった。心の過敏さみたいなものが、繊細さを育て勇気として実るか?逆に繊細さがあだになって、とめどもなくひねくれて堕落してしまうか?鈴木慶一はずっとこの微妙な線上を歩いてきたのかなあと思った。NHKで鈴木慶一と曽我部恵一が演奏しているのを見た。鈴木はゆうゆうと貫禄がさらにパワーアップしていた。鈴木慶一に詳しくない僕でも、うれしかった。「阿呆電車」なんていわれると人を小ばかにしているようだが、単純に素敵な電車がいいなという素直な気持ちが心の中にあるのを感じる。
ここまで書いてきて、「独立」という言葉が最近歌われているのを思い出す。ビョークの曲だ。「自立」か「依存」か。はたまた尊重しあうとか協力しあうとか。しかし、それらの言葉にない響きが「独立」にはあるように感じる。独立は英語だとindependenceだから「頼らない」というのが基本的な語の意味。しかし、基本的なものを侵害されない。権利をもつという意味も持つと思う。アメリカの革命は「独立革命」。幾人かの政治思想家は、フランス革命の暴力的、独裁的な側面を嫌い、独立革命を評価している。もちろんその前にアメリカの先住民に対する殺戮があったので我々は安易に評価できない。また大戦後、様々な小国が独立を宣言するが、逆に大国に政治経済的に左右されることになった。
そんな大きな独立ではなく、個人的な気概として「独立」を心に持つことは大切だ。自分を顧みて人に頼ろうとして裏切られ辛い思いをしたり、また逆に人にいらぬお節介をして疎まれたこともある。
そんなとき、もちろん人が信じられなくなる。けれど、それは自分は自分の人生をそれだけを生きざるをえないという認識からの逃避でもある。逃げることに意義を僕は語った。ただその先に自分でしかありえないことの事実性と揺らぎがある。どうしても自分でしかありえないこと。このことにはもうそれ以上の意味はない。けれど、だから変わっていくということを感じたり人のやさしさが感じられるのだと思う。この曲は映像も含め危機的で異様である。しかしどうしようもなく精一杯狭い部屋で叫ぶ。そういう苦しさが今ある。それをどうしたらより広い場所に出せるか。非常に真摯な呼びかけを感じるのである。
Bjork -Declare Independence
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