Feb 26, 2008
なぜか
フロイト先生を読んでいる。昔読んで全然意味がわからず、投げ出してしまっていたフロイト先生の御本でございます。最近、光文社古典新訳というシリーズがあって、手軽で読みやすい訳で古典が読める。フロイト先生のも新訳で、2冊出てたので、後に出たほうを読んでいる。レポートは福祉関係で、苦しめられていたのであんまり関係ない分野の本を読んでいると現実逃避できる。
フロイト先生の説は好き勝手に素人判断で読む。ふつうの人向けの講演の文章も入っている。「ええ、意識と前意識と無意識がありまして」と説明しだすフロイト先生。「でも、これは仮に分けただけで、心なんてそんなに綺麗に分けて語れませんよ。今風のぼやかした絵の線みたいな感じで、ぼやーとして、お互いの領域が混じりあってますです。ニヤリ」と。(以上勝手に意訳)
きっとフロイト先生も自分の気持ちをセーブできなくて、けっこうドロドロだったのかなあとも思った。エスの説明を聞いていると「意識という騎手にとって、エスは荒馬です。どこへ行くかわからなくてヒヤヒヤなんですが、さらに人間はエスと外界と超自我という荒馬の三頭立ての馬車の騎手です」(更に勝手に意訳)
晩年はナチによるユダヤ人迫害を避けてロンドンに亡命。それまでに33回も癌の手術を受けている。それでも馬車馬のように活躍。仲間のユダヤ人医師たちはガス室送り。娘だって逮捕されている。フロイトはモルヒネによる安楽死を選んだ。これだけ聞くと辛すぎて、アインシュタインと第一次大戦の後「戦争は亡くならんな~」と文通してた気持ちがわかる気もします。現代人は攻撃性が内向して、戦いが嫌になってきたともいっているんだけれど。第二次大戦を見る限りそうでもなかった気も。
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