Feb 14, 2008
かさいぜんぞう
久しぶりに葛西善蔵さまのお世話になる。葛西は、日本の近代文学史に輝く露悪作家である。
借金踏み倒す。女房子どもを田舎において自責の念に駆られる。辛いので女と仲良くなる。やがて、病気も入っていらいらして、女を邪険にする。自責の念に駆られる。書けなくなる。金がなくなる。無心する。以降繰り返し。
ものすごくカリカチュアするとこうなってしまう。鎌田彗『椎の若葉に光あれ』を読んで、葛西作の『哀しい父』、『椎の若葉』などなど青空文庫で公開されているものを読んだ限りでは。
けれど、そうしてまで成り立たせたかった文学。そうしてまで徹底して生活を文学にしてしまった姿には何か凄みを感じる。決して真似できないけれど、迷惑この上ないけれどある種の聖者?(貧乏の神)だろうか。襤褸をまとった。しかし、悲惨なのに明るい。それが大学時代の僕には小さな灯りに見えたようだ。
太宰治は葛西を尊敬していて、「善蔵を思ふ」を書いている。太宰の赤面や自虐を葛西に重ね合わせているようだ。どうも私小説作家の美徳に一途に信じることと、それを破壊する懐疑の心というか不信があるようなのだ。おそらく同じ東北人として、啄木や善蔵が太宰に与えた影響は大きかったのだろう。
例えば、彼らの金を無心する時の図々しさは、相手を試すような気持ちがある。近所にいたらきっと迷惑である。けれど、太宰はそれを全然異なる形で「友情と裏切り」みたいなテーマとして「メロス」を書いたのかもしれない。
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