Jul 09, 2007
黄燐と投げ縄
今日は、石川くんに代わって、わたしが、お出迎えします。読者の皆さま、こんにちは。今日は、石川くんとお友達が遊びに来てくれました。天気がいいので、わたしの体を洗ってくれるそうです。
えー、石川です。お友達の犬さんのところに昨日遊びに行きました。彼女は水を嫌がらないので、体洗うのが助かります。いっぱい、なめられて、ひざに抱っこしました。近頃は時々抱っこさせてくれます。彼女は乙女なので、どきどきです。ほとんど鳴かないです。風を見ることが出来ます。空を飛ぶものが大好きです。純粋ってのは、こういうのをいうんだろうなあと思います。
子どもや動物には神性が宿っていると思うことがあります。きっと不思議な世界が見えているのだろうと思います。詳しくないので申し訳ないですが、柳田國男や、折口信夫は、近代人だけど風や、土や空や海のもつ不思議な力が見えていたのかもしれません。私小説作家にもそういう感性がある人がいますね。神は、デウスやゴッドでもありますが、世界には驚くほど多彩な神の形態があることを忘れておきたくないですね。
帰り、図書館で、灰皿町にもお住まいの清水哲男さんの詩集『黄燐と投げ縄』を借りました。この本は始めの詩を読んで、吸い込まれて「借りよう」と思いました。けっこうすごい力で釣られてしまいました。はじめて清水さんの詩を拝見したのですが、あなどりがたし。
詩集の中で、詩のクオリティのでこぼこがあまりないのに、驚きました。一定のいい感じを保っています。若い詩人の方々、こういう方も、ライバル設定(しなくてもいいですが)し、乗り越えていく必要がありそうですよ。ちゃんとサービスがあります。外向的な構えをしています。そこに含みがあるので、太くて、味わいのある詩です。関東なのにおいしいうどんのような。下村康臣さんの詩は感動しましたが、この詩には別の感慨がわきます。この感じ、今の多くの詩に欠けているかもしれません。サービスなくてもいいんですが。それと、昭和の空気が保存されています。それで現代を生きる変な感じもあるわけですよ。
驚くのは王貞治の本や花の3人娘の本や星座の本まで書いているということです。まさにノンジャンル。伝聞ですが俳句もやっているそうで。びっくりです。でも、「なあんてね」みたいなスタンスで書いているのは、理解できるのですが、そこは違和感があります。きっと私は知らない苦渋とか難しさをいっぱい見ているんですね。そこから諧謔というのかな、でも、生真面目な戯れですね。落語や川柳の空気がありますね。「決起せよ」が出てくる詩も、書き出しは素晴らしいだけに、最後で何かを閉じてしまっている気がしました。別の読み方があると思いますが。何か閉塞も感じてしまうときがあるんですね。なんでしょうか。たぶんご自身もそう感じていて、静かに苛立ったり、もがいたりしているような。
値段設定とか紹介の仕方によっては、色んな読者を獲得できる気もしました。それくらい、読み物として他のジャンルに負けないというものがあります。もちろんそれとちがう詩の方向性ももちろんあります。もう少し読んでみます。
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