Jun 29, 2007
詩集
昨日も暑くて、しかも掃除の仕事で、汗をかいてけっこう疲れる。お腹の調子もいまいちだった。帰って風呂入って、早めに寝たら、ある程度疲れは取れたようだ。2~3回目が醒めたが、6時間は寝た。昨日の夕方、倉田さんより、斉藤恵子さんの詩集『夕区』が届く。倉田さんがかしてくれたのだ。ありがとうございます。きれいなブルーの装丁で、2~3編読んだが、非常に上品な言葉遣いだ。押してこない。そっと置く感じ。グルーブがない感じでもない。最近は、若い人が(自分も若い?)どんな詩を書いているかと思って、図書館で借りた思潮社の新しい詩人シリーズを2冊ほど読んだ。もう少し他の色んなタイプの詩集を読んでみないと、やはりそれぞれの真価はわからない気がした。広い世界の中に、詩を置いてみる事。僕は、いろんな世界に対して、素人の意識が強いために、詩もそれほどの量を読んでいるといえないために、なかなか難しいが。詩に対しては、(それだけではないが)いつでもチャレンジャーの位置にいたいと思う。若い人ではないが、昔吉田文憲さんの詩にはまったことがあって、最近の詩集『六月の光、九月の椅子』も図書館で借りてみたら、言葉の夾雑物がとれて、美しくなっている反面昔の僕の好きだった生っぽい感じが減っている気もした。吉田さんでは『移動する夜』が好きです。きらきらしてて、切ない感じです。『六月の光、九月の椅子』より、気づかされた一節を引いてみる。
なにを苦しんでいたのだろうか、という問いは、なにを殺そうとしていたのだろうか、という問いと同じではないか。(吉田文憲『六月の光、九月の椅子』思潮社2006)
新しい詩人シリーズを読んだ後、続石原吉郎詩集をぱらぱらめくっていると、石原の言葉の迫力をすごく感じる。この違いは一体何なのだろうか。石原の詩と時代はちがうわけだがけっこう深刻な気もする。
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