Aug 28, 2006

介護者から利用者になったものの介護の見方メモ

 こないだ、考えていて、ぼくは昔は介護者だったのだが、いまは利用者である。昔介護者だったとき、なかなか頼りにくそうにしてる人がいた。どうしてだろうと思った。遠慮や色んな思い、障害を認めるのが難しい等いろいろある。自分が利用者になってみて、いまは頼る・甘えるというのも一種の技術だと思うようになった。気持ちよく過ごしている人は、関係性というものをよくわかって、どこまで頼るか、ここは自分でやると、どんなに重度でもわかってくるし、世話する側も、わかってくる。目的がはっきりすれば、どう職員を利用というと変だが、そうするかというのがわかるようになる。何を相談していいのかわからないこともある。ある意味で、相談できるようになれば、その人は自立しかけているとさえいえるだろう。最初はぼくもどう話していいか、どこまで話していいかわからなかった。何を相談して良いかわからないが、とにかく苦しいということでも、もちろん職員は助けてくれる。そうしてくれない施設は終わっているともいえる。介護、利用者両者にそれぞれに思いがあり、精一杯生きているという認識が大前提。
 昔介護で働いているとき、なるべく、その人が自分を受け入れてくれればいいな、できることはやっていただく、それ以外は支援するというふうに思っていた。今、掃除の仕事で職員がついていてくれているが、ぼくらが慣れてくると、少しずつ、距離を取ってくれるようになる。じぶんもかつてそうして、できることはやっていただくということをしていたので、逆の立場から「支援」ということが見えてくるようだ。生きるという事は難しい。そう思えば思うほど、色んなものがドライに見えたり、いとおしく見える。客観的になれてきているような気がする。
Posted at 16:10 in nikki | WriteBacks (0) | Edit
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