Jun 15, 2006
気になることとのつきあい方
一日中、雨。じっとりと暑い。とうとう梅雨本番です。みなさん、いかがお過ごしでしょうか?たぶん全国的に雨なんですよね。まあ、そういうこととは関係なく、今日はカウンセリング行ってきました。メールの返事がかえってこないというのは誰にとっても今の時代、不安なのでしょうか。ぼくは気にかかるほうなので、先生に相談してみました。詳しい話は除くとして、これでも、だいぶ気にかからなくなってきました。病的な不安というのは薄れています。でも、メールは便利だけど、電話や手紙や直接会っての頃の心の決着のつけ方とはちがう時間の流れ方があるんじゃないかと思います。ずーっとつながっているから、つまりONだから、逆につながらないときに、なんでやろうと思うのかもしれません。いらん推測しちゃったりとか。こないだそれを詩にしてみました。手紙だったり、電話といえば、歌のテーマになったりしますよね。そういうのとメールは違う。いい歌やドラマみたいなものは、まだ生まれてないんじゃないかと思います。
でも、だいぶ置いてきぼりになるような感じとか、嫌われてるんじゃないかとか、少なくなってきました。気にかかることがありつつも、生活が送れている感じです。以前強迫神経症になったことがあって、それに生活が支配されたことがありましたが、それも、少なくなりました。
人は、気になることをかかえながら、生きていくのが、普通なのかもしれません。しかし、自分の思いみたいなものにとらわれて、周りが見えなくなってくると、生活が苦しくなります。なったことはないけど、社長をやっている人は、気になることだらけですよね。日々の売り上げとか、得意先とのつきあいとか、部下の面倒とか。で、社長じゃない人も、自分の人生というか生活をある種の事業と考えれば、友達のこと、家族のこと、そういう人がいなかったら、自分のこと、専念しなきゃいけないことでいっぱいで、気になることもいっぱいです。そうして、生きているのが、病気であるかに関わりなく、健康じゃないでしょうか。以前は雑念を消してしまいたかったけど、雑念がなくなるというのは、普通じゃ出来ません。ある程度いろんなことに意識が脅かされない程度に分散しながら、集中する事かもしれません。もうすぐ、精神障害者向けのちょっとした就労プログラムにつくので、忙しくて、メールどころじゃなくなるかもしれません。もちろん、メールいただけると非常にうれしいこともあるのですけど。
以前は、ある種勘違いして詩を書いていました。でも、そういうパワーでかける時期というのは、過ぎていく感じです。自分は特別じゃないという地点、つまり当たり前の地点から、書いていくというのは案外難しいと思います。いまでも勘違いしてるかもしれないけど、どこか遊離した地点からは書けなくなりました。かくごとに、それは嘘じゃないのとすぐツッコミが入りながら、書くのですから、一歩一歩が試行錯誤です。
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