May 22, 2006

たまねぎ

 060522_1947~001



 親父の田舎の叔母さんにもらった、たまねぎが非常にうまい。スライスにしてもよし、お汁に入れると甘さと味わいがびっくりするほど、溶けていく。上記の写真がそれであるが、甘くて、しんなりして、芳醇な味です。
 あんまり自慢することではないが、昨日今日と、晩飯を作ったのだ。そして、たまねぎ。昨日はサラダとみそ汁に、今日は、トマトとあわせて生で食べた。
 彼女の友達がぼくのことを聞いて「女の子に生まれてくればよかったのに」と云っていたそうだ。今日はとうとう彼女に「私のお嫁さんになりなさい」と云われてしまったのである。ううう、喜んでいいのか!
 たまねぎはむいてもむいても、中味がないという例えに使われるが、たまねぎにも詩があるとすれば、それは、形のキュートさと、切った歯ごたえにあるだろう。だから、全部中味なのだ。
 昨年の今頃は、文字通り、「希死念慮」が迫っていた。(その前は躁状態その他もろもろ)死が避けられない現実のようにありありと感じられた。その力は恐ろしくて、自分は甘えてるのかもしれないけども、彼女にそれを云ったら、いつも泣いて真剣に怒ってくれた。しかし、怒られても、わかっているけど、強烈な感覚なのだ。医師にも入院を勧められた。それが数ヶ月で治り、寄せては返す波のように不安にもまれながら、過ごしてきたら、少しずつ薄皮を向くように、良くなっていった。今でも薬を飲んでいる。こういうといっぱしの闘病みたいだが、病気は総体的に見て軽いほうだと自分では思っている。
 これからは自分のやりたいこと、向いていることがやれればいいかなと思っている。やはり福祉ということになるのか。精神保健福祉士や社会福祉士の通信教育を調べたりしてみた。研修期間は1年7ヶ月くらいある。お金のこともある。やるなら、来年度ということになる。もっと簡単な形でもできることがあればいいかなと思う。長く社会から遠ざかっており、できるかなとか、まだ億劫感や虚無感は残っていて(これらは性格的なこともあると思う)、それらをこえて、なにかできるか、無理をしないかだと思う。そういいながら、怠惰なときも山ほどあるのだが。  
Posted at 20:16 in nikki | WriteBacks (5) | Edit
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