Apr 08, 2006
ユナボマーと新年度
新年度なので、彼女と飲み行って、カラオケで歌いまくりました。意外に長渕の「とんぼ」がうまく歌えたので、なんだかなあ。でも、病気が激しい頃は、歌がすごく下手になって、音程がとれなくなっていた。病気になると音痴になるのかなあ?ひさびさに歌ったのだが、だいぶ治っていた。これでデイケアのカラオケに参加できるかもなと思った。ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「ワールドアパート」が歌えた。うれしかった飲みに行ったら、阪神戦をやっていて、阪神が勝つとビールが100円になるのであったが、たくさん食って、腹いっぱいになったので、出た。吾作亭というチェーン店のアベノ店。
今日は本が届いたのであった。「ユナボマー爆弾魔の狂気」と「魂は死なない、という考え方」。ひさびさにユナボマーを読んで、民主党の代表選を見て、こういう言葉が目にとまった。今書かれても不思議ではない文章。必ずしも賛成じゃないけど、ユナボマーは「勝ち組、負け組」という言葉が出来る前から、自力で考えていたのだと思った。偏見のかたまりではあるけど、ぼくに課せられた課題ではないか、また現代の左翼に課せられた、乗り越えられるべき課題ではないか。単なる狂人のたわごとと済ますのは難しい。全編、彼の「パワープロセス」論はニーチェの「力への意志」論に似ていて、左翼批判は、深くはないがニーチェのキリスト教批判に通ずる。やったことは悪いけど。
(引用)
左翼は、(中略)社会に個人の問題を解決させ、面倒を見てほしいと願っているのだ。彼らには自分の問題を解決し、ニーズを満たすだけの能力に対する自信がないのである。彼らが競争社会の概念を否定するのは、心の奥底では、彼らは敗北者を自覚しているためなのだ。(「ユナボマー爆弾魔の狂気」P245より)
たぶん自信がないから、競争社会を否定していると単純にはいえないし、ユナボマー自体も産業社会を批判している。彼は、敗北者であることをかなり自覚して、書いたのではないか。が社会主義のねじれに敏感な文章である。民主党の旧社会党勢力が小沢一郎を支援していることや、投げ落とし事件の背景にも連なる屈折感とダブると思う。この複雑な爆弾魔が見ている光景と感じている世界は。
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