Jan 22, 2006
なんばパークス、税金
20日は、自立支援法への更新手続きに高槻にいってくる。どうも、10%分の自己負担は、国保がもってくれるかもしれないということだ。32条でのデイケアの手続きは、いらないとのこと。本当に大丈夫なのか心配になる。自己負担しないで済むだろうか。ジャズ喫茶に行って、お茶をのんでくる。いつも思うが、JKカフェはいいところだ。いった方はいるだろうか?次にギャラリーマーヤに行き、堀尾さんの個展を見に行く。そこで、父と会う。弟がギャラリーでグループ展のプロデュースをするらしい。
現代詩フォーラムの読書会は皆物知りだった。でも、最近ぼくはなんか勉強意欲がない。
21日は、なんばパークスに行ってきた。彼女が「通販生活」を読んでいて、バスマットが欲しいらしく、カタログハウスの店に行く。なんか、上品でかわいい人が多いといったら、彼女に、そんなんばっか見てといわれてしまった。そこで、「つげ義春の温泉」を買う。温泉のカットや、つげの温泉漫画、エッセイが入っている。カタログハウスから出ている。意外だがめっけものだ。
晩はNHKの「日本のこれから」を見る。増税の議論だった。谷垣財務大臣が出ていた。みんないろんなことを言うが、司会がまとめ切れていない感じがした。大臣の答えのうまさが際立っていた。人気がでるのではないだろうか?それと、単純に流したり、切り捨てたりする小泉さんとは違う印象がした。ある意味、ある程度は、手厚い福祉も、必要だとしているようだった。それから、いろんな立場やコストがあって、要はどこまで、「政府」が、面倒を見れるか。そのためには、どれくらい税が必要で、どうとるかという問題の気がした。それが、どうしても、赤字財政再建とかぶってしまい、ある種の人には、これ以上、負担をさせられてたまるかとおもっているようだった。どうも、国の失敗のツケを全部払わされている感じがするのが、重税感の正体で、それと、どの税が何のために支払っているのかわからんまま、払うのはいやだと言うものだった。谷垣は、ある程度情報開示をしているとか、立場によってそれぞれだが、国はこれくらいのことを必要とし、それをちゃんとどこかにまわすとは、小泉さんと違い、言おうとしているようだった。最低限の応答責任は果たそうとしているようだった。ちゃんと答えれば、たぶん、所得の低い僕らは、各論が必要でも、相応の税負担に国民は答えるかもしれないと思った。そういう意味で、小泉さんは、あんまり優秀なスポークスマンではないような気がする。しかし、その冷たさが心地いい人が確実にいたはずだし、現にそれが、停滞の放置と更なる中途半端な改革につながっていると思う。郵政も大事だが、本来の争点は、社会を運営するコスト負担をどれだけ政府がやって、また、富を公正に再配分する事だっただろう。小泉さんには「配分」という観点が抜けている。そこも、たくさんとりたいと思っている人には「心地よかった」のではないか?郵政と言う「民営化」議論に絞ったのが、小泉さんの「やってます」という戦略だったろうし、確かに「改革」は必要だからという急いだ視点が結果、小泉政権の先延ばしを生んだんだろう。ここ何年かで、失われた、また失われつつある社会資源と階層化は残ってしまった形で、それは見えにくいから、「政権」の責任は追及されないだろう。彼は政府の、面倒を見る範囲を小さくしたから誰も文句を言っても暖簾に腕押しの構造を作った。
これから映画「博士の愛した数式」を見に行く。
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