May 15, 2009
言葉の共有イメージ
過去の私事でもうしわけありませんが、第一詩集を出す時にその表題を「河辺の家」と決めたのは編集者でした。わたくしは「明けきらぬ朝」を提案したのですが、却下されました。
その理由は「河辺の家」という言葉ならば、読者がそれぞれの「河辺の家」というイメージを明らかな姿で思い描くことができる。しかしながら「明けきらぬ朝」をイメージすることは茫漠たるものです。・・・ということでした。
さらにこの表題となった「河辺の家」は、詩集になる前に一編の詩として、あるささやかな賞をいただきました。その賞の第1回目の受賞作品であったことから、「このタイトルではイメージが悪い。」という理由でこの「河辺の家」となったのです。もとのタイトルは「喪失」だったのでした。多額の賞金に目がくらんで(?)というか、わたくしの師が決めて下さったタイトルで、無事受賞したのでした。
そこから「河辺の家」は、わたくしの手を離れて1人歩きを始めたのでした。「主婦詩人」と言われ、「介護詩人」と言われ、またまた「墓場まで、戦後を引きずっていく詩人」とまで評価され、その周囲の反応には、もうわたくし自身が傍観者でした(^^)。そのさまざまな批評のなかで、今でも胸にあたためている言葉は「水の詩人」と「耳の詩人」の二つです。
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