Aug 05, 2008
白馬へ。(その4・浅知恵・・・笑。)
(左下に見えるのは、冬季オリンピックのジャンプ台です。)
「白馬」は山岳文化を中心に栄え、古くから、山間の信州と越後を結ぶ交易路である「塩の道」があり、さらに戦国武将たちの合戦の場であったことは(その1)で書きました。標高の高い山に囲まれたこの土地が豊かな農村地帯であったとは思えない。
今夏の「白馬村」には青々とした稲が真っすぐに立った田んぼや野菜畑もあちこちにありましたが、その反面ではここのかなりの部分は別荘地帯ともなっていますので、どの家が農家なのかは見分けがつかないのでした。その村を散歩しながら、ふと山崎豊子の「大地の子」を思い出しました。その主人公の中国残留孤児の両親は長野県出身でした。この主人公の幼い時代のかすかな日本での記憶に、両親が朝の農作業の始めに「信濃富士」を拝むという光景が刻まれていたのでした。この主人公の両親も、貧しい農民が満蒙開拓団に夢を託した一家だったのではないでしょうか?そしてこの開拓団には長野県出身の農民が一番多かったそうです。
この村を歩きながら、自分が何故「山岳信仰」をふいに思い出してしまったというのも、そのようなさまざまな条件が重なったからでしょう。この「山岳信仰」について書けるほどの力はありませんが、全国には「富士」を付けた山の名前が多いですね。それは「郷土富士」と呼ばれるもので、「信仰」の意味がどこまであったのかは、地域によるでしょう。
(その1)で「白馬」の由来について触れましたが、あらためて。。。
白馬岳の雪が融け始めると、山肌に「代掻き馬」の「雪型」が現れるそうだ。それを麓の村人は田植え時期の目安(農事暦)にしていた。「代掻き馬」が「代馬=しろうま」に転じ、のちに「白馬=はくば」と変わった。村の名前は「はくば村」と呼ばれているが、山の名は「しろうま岳」と呼ばれている。
《追記》
滞在中、毎日快晴でした。霧には出会ったが雨には降られませんでした。
日頃の心がけのよいことの証明でした(^^)。
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