May 12, 2008
加賀乙彦の講演を聴く。
加賀乙彦は一九二九年四月生まれ、現在七九歳。小説家で精神科医。
一九四五年九月、東京府立第六中学校に復学。一九四五年十一月、旧制都立高等学校理科に編入学。一九四九年三月、旧制都立高等学校理科卒業。同年四月、東京大学医学部入学。一九五三年三月、東京大学医学部卒業。
東京拘置所医務部技官を経た後に、フルブライト奨学金を獲得してフランス留学を果たす。パリ大学サンタンヌ病院、北仏サンヴナン病院に勤務し、一九六〇年帰国。同年医学博士号取得。東京大学附属病院精神科助手、東京医科歯科大学助教授、一九六九年から上智大学教授。一九七九年から文筆に専念。一九八七年のクリスマス(五八歳)に遠藤周作の影響でカトリックの洗礼を受ける。
講演のテーマは(仮題)という括弧付きで「ハンセン病文学」についての講演でした。「文学」を括ることはとても困難なことです。「癩」という永い歴史を考える時に、どこを切り取って語ればいいのか?加賀乙彦氏は、見えない豊かな知識の引き出しを胸のなかに抱いて、聴衆の前に現れました。時と場を読む。それからゆっくりと引き出しを開けて、語り出したという風であったような気がします。
これらの文学の歴史的資産、あるいは資料は放置されれば散逸する。国家機関に預ければ、都合の悪いものが隠滅させられる危機があります。これらを「癩」の歴史の証言として、すべてを残すことに努力していらっしゃる方々の組織が主催した講演でした。しかし加賀氏はこのようにもおっしゃいました。「現実に療養所内に保存された図書資料も過去百年足らずのもの。しかし癩は聖書の時代からあるもの。」と。。。
さらに加賀氏は日本の古い文献については、詳しくおっしゃることはしませんでしたが、おそらく最初の日本人の記述は「日本書紀」に「白癩」と記されたもの。「今昔物語集」にも奈良時代の僧が「白癩」にかかった話があります。要約すれば以上にようなことではないでしょうか?
ここで加賀氏の講演の出だしについて書いてみます。それは日本という風土と人間性の問題です。それは「ぼんやり」という言葉で表現されました。「ハンセン病」に限らず、たとえば「死刑」「戦争」など、人々が国家の危機とすら思わなければならないこと、あるいは急いで止めなければならないことを、日本人は「ぼんやり」としか受け止めることができないことへの不安でしょう。いつでも認識が外国に遅れるということです。そこで、わたくしは数年来嫌ってきた言葉の意味をようやく理解しました。それはかつて友人から教わった言葉です。
敵を恐れるな─彼等は君を殺すのが関の山だ。
友を恐れるな─彼等は君を裏切るのが関の山だ。
無関心な人びとを恐れよ─彼等の沈黙の同意があればこそ
地上には裏切りと殺戮が存在するのだ。
(ヤセンスキー著「無関心な人びとの共謀」巻頭文より)
最後の加賀氏の希望としては、北條民雄を超えることのできる作家を待っているということでした。北條民雄の「いのちの初夜」の時代から、引き継いで次の歴史を書く優れた作家が現われなければならないということではないでしょうか?
*五月十一日・多磨全生園福祉会館にて。
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