Sep 23, 2007
杉田久女と高浜虚子
汝を泣かせて心とけたる秋夜かな 杉田久女
足袋つぐやノラともならず教師妻 同上
大正から昭和にかけて、杉田久女からはじまり、竹下しず女、中村汀女、星野立子、橋本多佳子、三橋鷹女などが、句誌「ホトトギス」が設けた女性俳人のための投稿欄「台所雑詠」から輩出された時代がありました。
しかし杉田久女は一九三六年(昭和十一年)の「ホトトギス」十月号紙上で、「除籍」を告げられるという屈辱的な場面に遭遇しています。久女は虚子への敬愛というものを、おそらくは「師弟愛」と「恋愛」とを混同し、錯覚したということが原因だったのではないでしょうか。これが「杉田久女」たる個性でもあるでしょう。
虚子留守の鎌倉に来て春惜む 杉田久女
張りとほす女の意地や藍ゆかた 同上
虚子ぎらひかな女嫌いのひとへ帯 同上
「女流」という言葉の規範の上に立たされ、「台所雑詠」という枠のなかで、俳句を続けることは困難な時代であったに違いない。しかし、それよりずっと以前の一九一一年 (明治四十四年)には女性の文芸誌「青鞜」が発刊されていることを思えば、フェミニズム意識は、すでに歩き始めていた時代なのです。
* * *
今日においても、明治、大正、昭和の時代においても、男女の性差と差異性は逃れようもないことです。しかし女性の内なるもの(あるいは言語表現への情熱?)が、そうした男性優位の社会構造のなかにおいても、決して消えるものではなかったのだと思います。
ただ一つ、わたくしが「杉田久女」に拘るのは、「師弟愛」と「恋愛」の混同によって、虚子から除籍されたことは、一人の女性としての否定だけではなく、「俳人」としての資質や才能も否定されたという悲しみです。「恋愛」であったとしたら、ここを分離して考えられるものではありません。彼女は全存在を否定されて、そこからまた立ち上がらなければならなかったという不幸です。
それでは現代の女性の文筆家たちが、許された自由をどこまで身の内に入れ、その自由を確かに生かせているのか?といえば、それもまた諸手を挙げて「イエス」とは言いがたい時代ですね。
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