Mar 17, 2006
言葉のこわさなど。。。
すでに社会人になっている愛娘から、最近になってわたしの記憶にはない思いがけないことを聞かされて、ちょっと驚いてしまった。娘は小学生の時に学校で「戦争」について学んだけれど、「ただただ、こわいだけだった。」と言う。どうやら小学校が招いた「戦争の語り部」の話を聞いてきたらしい。そのこわさから救われたくて、帰宅後の娘は母親のわたしに「もう、戦争は起きないのでしょ?」と質問したらしい。その時わたしは娘に「戦争がなくなることはない。」と答えたらしい。つまりわたしはその時の娘の幼い恐怖感を救ってやることができなかったのです。
それから何年娘はその恐さを抱いていたのだろうか?娘は「ただただ、わたしにだけはそんなこわいことは起こらないでください。」と願っていたという。張り倒してやりたいようなエゴイズムであるが、幼い娘にとっては、それが精一杯の忍耐であったのだろう。けれどもその質問にわたしは「もう戦争は起こりませんよ。安心しなさい。」などという嘘を言えるわけがなかったではないか。
ともかく、娘はその恐怖を超えて無事に大人になった。「戦争」というものの実態は、新聞もテレビもネットも書物もいやというほどに情報を提供してくれるので、今や娘の方が知識としては上回ったことだろう。わたしの「戦争」の知識の底流は父母や祖父母の話なのだから、比べようはないが。
戦争の記憶が遠ざかるとき、
戦争がまた
私たちに近づく。
そうでなければ良い。 (石垣りん「弔辞」より)
上記のようなことを書いていたが、わたしは今でも不用意に言葉を落としてしまって、誰かを傷つけていることはあるのだろう。どうしても拭いきれない不条理に陥ると、言ってはいけないことを口走るのかもしれない。昨夜から春嵐が続いている。
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