May 03, 2008
極私的にコアの花たち 鈴木志郎康
二日夜、新宿パークタワー3Fの映像ホールにて、「イメージフォーラム・フェスティバル2008」のDプログラムの、鈴木志郎康さんの五十分の映画「極私的にコアの花たち」を観ました。ドキュメンタリー映画と名付ければいいのか?いや、違うかな?これは志郎康さんの詩の映像化かもしれません。(←志郎康ファンとしての極私的解釈。笑。)鈴木志郎康さんは詩人であり、映像作家でもある方です。
二〇〇六年の一年間、ご自宅の中庭にある花たちの芽吹き、開花、落花、枯死を、カメラで追い続けた作品でした。この年の春には志郎康さんは多摩美術大学を退職されています。またお体を悪くされて、加圧リハビリ、骨格矯正と交流磁気シャワーの治療に今でも繰り返し通われているというお体で、制作された映画です。
ナレーションも志郎康さん。BGMは少々。ラジオやテレビの音声が挿入されたり、大掛かりなものはなにもない。一番効果的だったのは志郎康さんの呼吸音でした。
決して広大ではない庭で、花がない時には花を買ってきたり、送られてきた花が写されたり、花が志郎康さんの一年を写しているようでした。この花は全部「灰皿町南波止場1 ・鈴木志郎康のblosxom Weblog」に掲載された画像です。このブログが毎日更新されていることにも、実はずっと驚かされてきました。
この志郎康さんの「極私的にコアの花たち」の前に、短い映像作品が三つ放映され、全部放映された後で、それぞれの製作者の挨拶と制作動機、主張あるいは意図するものが語られました。最後の志郎康さんの挨拶は、これまた魅力的(^^)。
「僕は空っぽなんだね。」・・・・・・。 わたくしがこの境地に至るのはいつのことやら。。。
【おまけのおはなし】
この映画鑑賞のあとで、志郎康さんを中心に約十人のお仲間とお話する席に参加しました。そこでお目にかかったことはあっても、多分ほとんど会話を交わしたこともなかった詩人で映像作家のF氏のお話にはびっくり。。わたくしの詩集「空白期」を、ワークショップに使って下さったとのことでした。素直に嬉しいです(^^)。
詩人の講座のテキストにわたくしの詩作品を使われる方は、以前にも何人かはいらっしゃいましたが、このようなお話をお聞きする度に、わたくしの詩が、ささやかながらどのような役目をになっているのか?ということを知らされる思いがいたします。(本当にささやかながら。←ここを強調。笑。)
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