Jul 04, 2005
みすゞ
パソコンを新しくして、初めてのDVD鑑賞はこの映画でした。今まで一度もDVDを観たことがないというわたしにあきれてというか、哀れんでというか、ともかく貸して下さった奇特なお方のお陰で観ることができました。深謝。
この映画は、詩人金子みすゞ(1903~1930)の二十歳から二十六歳で自死するまでの約六年間のドラマです。本名は「テル」、山口県大津郡仙崎通村(現・長門市仙崎)で産まれています。ここは日本海に面した漁港で、向かい側には青海島があり、海にかこまれた土地です。そしてまた、みすゞの生活は少女期からずっと本にもかこまれていたようです。母もみすゞも書店を営んでいたので、書籍が多く映像として出てくるのですが、夏目漱石の「こころ」がそこに見えた時にちょっと驚いた。今わたしの書棚にある「漱石全集全十六巻・1965年~1967年刊」の装丁と全く同じものでした。それは布張り、燈色の上にうすい緑色の旧漢字(多分。。。)が並んでいるものでした。ううむ。我が書籍は復刻版だったのかしらん?
この金子みすゞの短い生涯を思うとき、同時に思い出すのは、シルヴィア・プラス(1932~1963)です。時代は三十年ほどずれていますし、日本と米国との違いもありますが、ほぼ同じ年齢で結婚し、夫の生き方に翻弄され、子供を残して自死したという共通点は、どうしても見逃せないものになってしまいます。シルヴィアについては「愛の詩を読む」に書きましたので、そちらをお読みください。
金子みすゞの人生は、日本のその時代の女性の例にもれず、みすゞの母親もふくめて、親族や周囲の状況に合わせるように、流れに逆らわずに生きてゆくことでした。ましてやみすゞの産まれた土地である長州は「男尊女卑」の根強い風土です。「家」という形を整えるためにもっともふさわしい場所に女性は配置されてゆくのです。そこでひたすら心やさしい者として生きてゆかなくてはならない。しかし、みすゞの置かれた場所はあまりにも不幸だった。そこから救済される時間が、みすゞのいのちの時間に間に合わなかったというしかありません。
みすゞは、病院から処方された薬を半分だけ残して、それを自死のためにためておいた。死はゆっくりと準備されていたのです。それをとうに知っているかのように、執筆しているみすゞの後姿を見ながら、おとなしく一人遊びをしている小さな娘。この光景からは、岡本かの子が執筆のために息子の太郎を柱に繋いでおいたという話を思い出したりもしました。映画の最後には「星とたんぽぽ」が引用されていました。これはきっと小さな娘への遺書なのだと思えてなりません。
青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
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