Apr 29, 2009

おりこうな王子

picasso-1

 一歳を過ぎて、王子のなんと知恵とからだの発育のよいことよ。
・・・・・・という冒頭でも書かないと、どうも最後は感傷的なお話で終わりそうですので、とりあえず予防線をはっておきます。こんな小細工をしてでも、書いておきたいという自分の気持が、よくわからないのですが。

 王子さまは「高い高い」や「肩車」をおねだりするときは父親の胸によじ登って、意志表示。おいしいものが食べたい時は、お菓子の袋をみつけて、母親に「開けてちょうだい。」と意志表示。母親がある程度まで出して食べさせてあげてから、「これ以上食べては、いけません。」と言って、かごの中に戻す。すると、今度はそれを持ってきて、ばあばに「開けてちょうだい。もっと食べたい。」と意志表示。ばあばは母親の目を盗んで、王子さまの共犯者となる(^^)。

 そうしているうちに、王子さまは、ばあばの前歯にちょっと隙間があることに気付いて、小さな指をつっこんでくる。「ぱくっ!」とやわらかく唇で小さな指をつかまえてあげたら、その遊びを覚え、おおいに気にいったようで、何度も指をつっこむ。

 そうしているうちに、母親が部屋を出て、トイレに行こうとしたら、ものすごーい「高速はいはい」で追いかける。あわてた父親に引き戻される。「おりこうアンテナ」は何本立ってるのかな?


 こう書きながら、涙が出てくる。王子は好き嫌いなく何でも食べる良い子です。体重、身長は標準で順調に育ちました。若い両親もよく頑張りました。

 わたくしは1歳半ば頃に死の瀬戸際までいった幼児でしたし、3歳まで歩くこともできない状態で、父母や祖父母の心配の種でした。さらに小学1年生の夏休みには「疫痢」にかかり、またまた死にかかったのです。当然「隔離」されるべきところを、不憫に思った祖父母と父母は主治医と相談して、自宅治療となりました。これが許されたのはおそらく主治医の法を超えた独断であったのだろうと思います。家族はすべておそらく息をつめて生活していたことだろう。小さなわたくしは殆ど意識のない状態で、記憶といえば、庭のほおずき、蝉の声など・・・・・・母はわたくしの快復とともに、過労で倒れました。ありがとう。

 小学校の昼休みには、母はこっそりと校庭の柵越しに、わたくしの様子を見にきていたそうです。みんなが元気で走りまわっているのに、校庭の花壇の縁に腰掛けてぼんやりしているわたくしを何度も、悲しい思いで見ていたそうです。ありがとう。どうにか人並みの体力となった頃には、すでに思春期にはいっていました。


 そんなこんなで子供に望むことは、ただ1つ。健康なことでした。ここまで生きていてよかった。2人の子の母となり、そして祖母ともなった。無事にいのちは引き継がれたのです。亡くなった祖父母、父母に、あらためてありがとう。
Posted at 02:32 in n/a | WriteBacks (4) | Edit
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