ほのかに夢に
倉田良成
Yの旧市街には開港以来の西欧式建築が多くあって、そのすべてが石造ではないにしろ、重厚な奥深さをたたえた構造感が、見るものをして、とくにわれわれのような倭国人の感覚を圧倒した。明治以来の旧銀行や旧商社建築、交易施設、市庁舎、税関などの正面玄関等には、堂々たるエンタシス様式の円柱が、たてもの内部へ人を迎え入れるとも、あるいは逆に衆愚の者たちからたてもの自体を警固しているとも見えたが、おそらくは表に雨ざらしになる壁面のみが大理石に蔽われているだけで、その他のほとんどの部材が基礎もふくめて当時手に入れることのできたベトンか、あるいは杉材松材であろうことは想像にかたくない。入口のほかにも、たてものの頂上付近の円いドーム、青い円蓋、あるいはそこから人が群衆に向かって手やハンカチを振るとも思われない、何のためにあるのか判じがたい装飾的なバルコニーなどが、しばしば認められる。これらは、なにかしらの贋物臭さと、同時にある種の迫力を感じさせるのであって、恐らくこういう感じは大連とか上海、マラッカやムンバイなどの港町にも共通する「感じ」なのであろう。なかでも建築壁面に取り付けられたさまざまなレリーフ群には眼を引きつけられた。青空の下でも曇天でも、あるいは夜間のライトアップされた光景でもいいけれど、複雑に象られた紋章や、瞳のない天使あるいは精霊の、頬をふくらした像、将軍が胸に懸けるみたいな華麗な組紐の垂れ下がり、また恐ろしい怪鳥が叫びをあげているさまなど、それらの浮き彫りをはるかに見上げるだけで、じぶんでも説明しがたい疼くような心のありさまになるのを常とした。立体物でありながら、底翳の眼球を見るような、書き割りみたいな一種の連続の寸断、あるいは遠近感の不在、つまり凄まじい「浅さ」があるように思うのだ。それらの浮き彫りに対しては、エンタシスの柱とか装飾的なバルコニーのたぐいとはあきらかに異なる、たとえそれが贋物の装いのさまであろうとも、なにか宗教的な、とでもいえる畏れの感情が交じっているのだった。たしかに高々それらは漆喰のこしらえものすぎない。だが、そこにはまったく別の世界のようだが、街道の三叉路の岐路に当たるポイントにしばしば見受けられる、庚申塚、地蔵堂、閻魔堂などを覗いて見るおりの感情と共通する性格がある。ハンス・カロッサの『幼年時代』という小説冒頭に、聖母マリアの龕(がん)を覗いて見るハンス少年に、似たような畏怖の感情の記述があったことを記憶する。別の折、たしかローマの城壁にも至る所に、それこそ青面金剛や地蔵堂みたいに、こういう種類のマリアや聖人の龕がおびただしくあったのを覚えている。これら「贋物」たちは、どうしてこんなにもわれわれを惹きつけ、心の深部をかき揺らすのだろう。おおむね、このYという街にも似たような色合いがある。朝から夜まで、Yの岸壁から港の殷賑を眺めていると、このうつし世はしょせん板のうえの芝居なのだという確信が、まるで新鮮な怒りのように、鬱勃と涌き起こってくるのだった。
ほとけは常にいませども、
うつつならぬぞあはれなる、
人の音せぬ暁に、
ほのかに夢に見えたまふ。
*『梁塵秘抄』より。