さめやらず
三井喬子
道を行く人の声で目覚めようとしたとき
忘れ物をしたような気がする
とても大事なものだったような気がするが
はっきりとは思いだせない、
大きさ重さ 肌触り
それを抱いて眠っていたとき
どれほど幸せだったことか、
と言う類いの
林檎を切っていたとき
ちょいと辺りにおいたのかも知れない
夢の一番温かなところに手をいれて探ると
亡くなった娘が
お母さん、わたしは幸せになれるの?
と聞いた
すくなくともお母さんはあなたがいて幸せよ、
と答えたが
あの娘にその意味は分かったのだろうか
ちょっと膨らんだお腹をぐるぐる撫ぜて
早~く来い 赤ちゃん来い
といって
あっちの方へ行ってしまった
あとには 脱ぎ捨てられた大人と子供の一対の服
タオル石鹸 おんなの哀しみ
少し冷めかけた奥をまさぐると
木箱だった
忘れ物はこんな中にはあるはずもなく
そっと蓋をずらしてみたが
うす青い壺が見えただけだった
何にもないって言ったでしょ!
蓋だって ぷんぷん泡を吐いた
服をぬいであったので
つめたい水にそっとはいった
脚が途中で切れてずれて
指がちらちら薄くなり
底の方にわだかまっている光る紐は
忘れたものだったかも知れない、
足にからんで来るような
拾おうとして水中に潜ったが
ああ、誰もいなかった何もなかった
今日は捨てる日よ
大事な物を捨てる日よ…
まだ捨てるのは厭!
と言いながら抱きしめたら
抱きしめたものは壊れているのだった、
もう既にして とっくの昔に
ビニール袋が光った
忘れ物は何だったのですか
これですか
あれですか
老いさらばえた肌ですか
金属製のゴミ箱から何か零れ落ちる
朝まだき